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【感想】さよならの朝に約束の花をかざろう【前編】

 ネタバレがあります。以下プレビュー汚染。
アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア

 何から書けばいいのか分かりませんが、とりあえず一見しての感想は「これヤベぇな」でした。いや、ヤベぇんだよ。分かってくれ。
 まずヤバいシーンその一なんですけど、赤ん坊を抱いている屍の指を折るシーンですよね。あれは率直にヤバいと思います。完全に語彙の無いオタクに成り下がってんな。あのシーンは「突破」の暗示なんですよね。もうちょっと適切な語彙が存在したような気がするんですが、語彙の無いオタクなので思い出せませんでした。死から生、孤独と孤独ですね。この時のマキアの"指を折る"という行動が極めて前向きなものであることは「おもちゃじゃない、私の、ヒビオルです……」という台詞からも読み取れます。死に囚われている生命に、死と遠い存在であるイオルフの民であるマキアが孤独の中で出会う。そういうシーン。それから前述の、"私のヒビオル"という台詞は非常に示唆的で、この物語にとって多大な意味を含んでいる事は言うまでも無いでしょう。後半でのマキアの台詞にも再びその示唆があらわれます。
 ヒビオルの話ですね。この辺でちょっとしときますか。まだ一回しか見てないのでちょっとあやふやな部分があるんですが、ヒビオルというのはこれは物語そのものだと思います。縦糸は流れ行く月日。横糸は人のなりわい。それはつまり連綿と続く人の生であり、物語です。それを紡ぐイオルフの民、"別れの一族"。すっげぇ悲しい。涙出てきた。ヒビオルは作中でも非常に重要な意味を持ったアイテムとして何度も登場し、そしてその都度、それがどんな意味を持つかが変わってきます。一つとして同じヒビオルは無い、という事ですね。そのうち一個ずつ説明していきましょう。
 それからヤバいシーンその二ですね。犬(名前忘れた)さんが死ぬシーン。アレも率直にヤバい。作中最初に泣いたシーン。ミド達と出会って、マキアは"家族"、ひいては"人と人の愛"を目の当たりにし、母親になりたいという気持ちが芽生え始めます。出会いのシーンでは、そんな事は考えていなかったでしょう。山羊のミルクを飲ませようとしてしまうシーンは、愛を知らないぎこちなさでも赤ん坊に手を差し伸べたい、というマキアの気持ちを表したものです。知らんけど。マキアがミドに尋ねた「お母さん、ってどんな感じ?」という質問は、家族愛への羨望なのでしょうね。あと、ラングに赤ん坊の名前を聞かれて、咄嗟に「レイリア!」って答えちゃうのはレズポインツですね~。10ポインッ!!
 とにかく、そんな中でマキアは母親としての意識を自分に少しずつ持ち始めます。「ママ、って呼んでみて」とかね。あれいいよね。可愛い。最高。ママ~。流れる月日の中で成長するエリアル、あと老いていく犬(名前忘れた)。犬。死。キツい。ヤバい。
 スパっと切り替わりますよね。犬の死に。最初は誰も泣いてないんですよ。そして最初のカットでは、ミドの顔だけが見切れてるんですよね。それ以外の四人は、ここで初めて"死"を知ります。そういう暗示ですね。誰も泣かない。
「もし、もし生き返ったら……」
「浅かったら野犬に掘り返されるだろ」
 兄弟のやりとり。(弟の名前忘れたけど)
「みんないつか死んじゃうの?」
 エリアルの言葉。
 こういう無邪気さというか、プリミティヴな"死"の理解ってかなりエグいですよね。よく見ますけど。人間誰しもいつか通った道なんですよ。まぁ一番エグいのはこれを聞くマキアの心情なんですよね。はぁー無理。"別れの一族"たるマキアにとって、それらのプリミティヴな死の理解は全く違う意味を持ちます。どれだけ愛しても、皆マキアを置いていく。はぁー無理。そりゃ走って逃げ出しますよ。泣きますよ。ラングがマキアを追いかけるシーンです。この死を共有した上で、最もマキアに歳が近いのがラングであり、それは最も別れが近い事を意味します。「泣くな」と。「多分、母親ってそういうもんだ」と。これ残酷ですよねぇ。キツいわ。マキアの背負っていく重荷をね、受け入れろと。この"涙"というのもかなり重要なファクターなんですね。ここのマキア、涙ながらの「分かってたけど……!」って台詞、後にどう続くんでしょうか。別れの一族、本当のひとりぼっち。分かってたけど、涙が止まらないんですね。キツいシーン。はぁー無理。ここで初めてマキアは自分がエリアルの母親である事と、その別れの重さを自覚します。もう泣かない。お母さんなので。どうでもいいんですけど、この時ラングはマキアに惚れたんですかね。割とどうでもいいんですけど。
 場面は変わり、レイリアがメザーテに囚われている事を知り農場を離れエリアルと共にメザーテの都へと向かう事を決めるマキア。この辺で、「あ、だいぶ展開が速いんだな」と思い始めた方も多いと思います。思い返してもだいぶ詰め込んだなぁという印象はありますが、これはかなり狙った一種の表現だと思います。速い展開に詰め込まれてはいるんですが、切り替わりがすっげぇスパパッと行われるんですよね。一種切り捨ててるみたいな。メザーテに向かう船のシーンも一瞬で、別れを示すものとしてはエリアルを訪ねるディタにデオル(弟の名前思い出した)が「エリアルならもう居ないよ」と声を掛けるぐらいです。ラングはあれですね。辛いよね。うん。
 この物語、公式サイトのHISTORYに基づいてざっくり4つ、あるいは5つのセクションに分けられるんですが、その転換が本当に断絶的というか、スパパッて感じですね。語彙の無ぇオタク。人間と、人生の不連続性が表されています。人生とはつまり不連続の連続であり、ヒビオルもそれを示しているんですね。縦糸は流れ行く月日。横糸は人のなりわい。そういうことですね。はい。
 船の中でクリムと再会を果たすマキア。この時のエリアルの拗ねる感じがこれマジで子供の頃あったわ~分かるわ~みたいな。遠めの親戚と会った母親がすげぇ話してんだけど! 俺に構えよ! みたいな。幼少期のエリアルの感情の機微はかなりリアルに表現されてます。ディタにからかわれるシーンとか諸々。結構こういうのくすぐったくなりますね。芳醇な感情が感じられてサイコーです。
 で、クリムの「母さんって呼ばせてるの……?」って台詞。キッツいこと言うね~お前。でも彼からすれば本当に理解できない、というか不思議なんですよね。
「長老が言ってた……」
「ちゃんと、覚えてるから」
「なら、いいんだ」
 これね。ならいいんだじゃねぇよ。良くねぇんだよ。マキアとクリムの認識は乖離してるんですよね。多分長老の教えの真意を分かってないんじゃないかと思います。本当のひとりぼっちの重さ。それは愛の重さ。その辺よく分かってないんでしょうね~。それが後々に響いていく。
「もぞもぞ虫が来たぞ~!」
 これ好き。最高。可愛い。好き。マジで好き。

 なんか思ったより筆が進むので分割する事にしました。明日二回目見に行きます。

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