どうも。
何日か前、飯食いながら投稿前の『餓鬼働』の第四話を読み返してたんですよ。自分で書いたやつを、自分で読み返すって結構みっともない行為なんですけど、みっともなくても飯は食い終わらないといけないので、箸を動かしながら読んでました。そしたら終盤に、一瞬だけ出てくる武者がいるんです。主人公が「見覚えがある」って思うだけの、名前も分からない、台詞もない、その他大勢の一人。箸が、止まりました。
いや、その他大勢のまま終わる役なんですよ、本来は。でも「見覚えがある」ってことは、こいつにも、こいつなりの二月前があったはずだよなと。飯を一緒に食った日があって、その日、こいつは何を思ってたんだろう、と。考え始めたら、目の前の飯がどんどん冷めていって、気づいたら箸を置いて、パソコンを開いてました。冷めた飯って本当にまずいです。まずい飯を犠牲にして、一本、書きました。それが今回の外伝、『峠』です。
これ、本編読んでなくても普通に読めます。独立した短編として成立させたつもりです。むしろこれ単体で読んで、後から本編を読むと「あ、あの時のあいつか」ってなる仕掛けにもなってるので、どっちから読んでも楽しめる作りのはずです。多分。そうであってほしい。
中身の話をすると、今回は恋愛の話です。
主人公は安田喜三郎という、生真面目で、冗談が下手で、輪の中にうまく入れない武者です。二月前、たった一度、ある侍大将と飯を食う機会があって(この人も飯を食ってますね。餓鬼働、飯食うシーン多いな、自分で書いといてなんですけど)、その時に交わした、本当にただそれだけの会話を、ずっと後生大事に抱えて生きてます。恋、と言い切っていいのかも、実は自分でもよく分かりません。もっと不器用で、名前をつけようとするたびに輪郭がぼやける、そういうものです。
時代が時代なので、男が男を想うこと自体は、別に特別なことじゃありません。衆道って言葉、聞いたことある人もいると思うんですけど、戦国から近世にかけての武家社会だと、これは普通に存在した情愛のかたちです。今の「同性愛者」みたいな、アイデンティティとしてのカテゴリーとは、ちょっと違う。年齢とか身分とか主従とか、色んな関係性の中の一つのかたちとして、そこにあったものです。
だから喜三郎も、「男を好きになる俺はおかしいのか」みたいな悩み方は、多分してません。していないというより、そんな悩み方をする余裕すら、彼にはなかった気がします。彼が本当に恐れてたのは、もっと個人的なことです。おかしいかどうかじゃなくて、知られたら壊れるかどうか。あの人との、今の間柄が。それだけです。それだけのことで、彼は一生、口をつぐみ続けました。
で、ここからちょっと、真面目な話をします。真面目な話をする時、僕はいつも少し身構えます。真面目な話って、大体、書いてる途中で恥ずかしくなってくるので。
僕、こういう「純粋な想いが、気づかないうちに誰かを傷つける」っていう構図、これまでも何度も書いてる気がします。自覚あります。多分、この先も書きます。多分、これは僕の抜けない癖です。歯の裏についた米粒みたいなもので、舌で取ろうとしても取れない。取れないまま、また次の話でも同じ米粒を舐めてます。
今回の話で言うと、喜三郎の想いって、本当に無害なんですよ。見返りも求めてないし、告白する気もない。ただ、もう一度会いたい。それだけ。こんなに罪のない願いってないじゃないですか。
でも、その願いが、死んで、言葉を失って、輪郭を失っていく中で、方向にだけ変わっていくんです。会いたい、というだけの気持ちが、理由も分からないまま、誰かに向かって歩き出す力になる。そしてその歩みの先にいるのは、彼が一番会いたかった人で、同時に、一番、傷つけたくなかった人でもある。
善意とか純愛って、無条件に良いものだと思われがちですけど、それが誰かに向かって動き出した瞬間、当人の意図とは関係なく、暴力になり得る。これ、多分、僕がずっと繰り返し書いてる主題です。今回はそれを、一番切実で、一番罪のない形でやってみました。
文体は、本編とがらっと変えてます。本編は乾いた三人称でしたけど、今回は一人称で、もっと湿ってます。感情もあまり隠しません。むしろ全開です。生真面目な男の、不器用な独白として書きました。
最後まで読んでもらえたら、多分、彼が最後に何を握りしめていたか、分かると思います。
というわけで『餓鬼峠』、上げました。恋の話です。ちょっと切ないです。
https://kakuyomu.jp/works/2912051605837018769/episodes/2912051605837056691