描写をどれくらい書けばいいかと思って、とあるミステリー作品を読んでみました。20年以上前の作品なんですが、これがまた、かなり多めでした。場面転換や移動のときは、描写を多めにというのは確かに定跡なんですが、それにしてもという感じ。そのわりに、本編は短めなんですよ。トリックも単純。20年前というのを差し引いても、です。しかも、視点がぶれまくる。あと、登場人物の過去の説明も多い。視点人物では知り得ないようなことも、全部書いてしまう。その当時はそれで良かった…とは思いません。故・佐野洋が「推理日記」でかなり昔から視点のブレについては批判してますから。
思うにその作家は、内容の少なさを描写で水増しする、という作風だったのかもしれません。2、3作読みましたが、パターンがどれも一緒なんですよ。事件が起こる(ここのところ、神の視点っぽいです)、主人公が登場する、容疑者が二人現れる、警察の杜撰な捜査により一人が疑われる、主人公だけがその人を無罪と信じる(「あの男には殺人なんてできそうにない」みたいな印象論で)、もう一人の容疑者はアリバイが完璧、しかし主人公の捜査と努力によりアリバイが崩れる…
アリバイ崩しなので、読者はそのアリバイがいかにして崩れていくか、を中心に読むことになると思います(特に後半)。しかしそこに過剰な描写ですよ。先が気になって、目が滑ってしまうんですね。聞き込みに行った先の場所の描写なんて、どうでもいいだろ、と(笑)。1行2行なら読みますけど、5行あったら段落ごと飛ばしたくなる。まあ、実際にそうして数時間で読んでしまいました。シリーズ物で、けっこう売れてるんですけどね、その作家は(ただし現役ではないです)。量産が重視された時代の弊害でしょうか。「真似してはいけない例」として記憶しておこうと思います。