小説の中で、登場人物が喫茶店やレストランに入るシーンがあります。純粋に飲食のための場合もありますが、たいがいは「話をする場」になるんですよね。で、コーヒーなり何なりを注文するわけです。注文シーンをすっ飛ばして、出てきた後から話が再開する場合もあるんですけど。
ただ、注文してからそれが出てくるまで、何も話が進まないわけがない。ウェイターかウェイトレスかが行ってしまった後、当然話を始めるのですが、注文したものが、いつかは運ばれてくるわけです。それを書くべきや否や。故・佐野洋の「推理日記」にも同じような議題が扱われた回がありました。佐野氏はどうやら「適切なタイミングで料理が運ばれてくる(あるいは店の人が現れる)のが良い」と考えておられたようです。それについては筆者も同様に考えています。「推理日記」を読む前からそう考えていました。ずっと昔ですが、友人が書いた小説(同人誌のような物)を読んでいて、その中に「男女二人が飲み屋に入って、延々と喋りつつ、飲み食いし続ける」というシーンがあり、会話の合い間にいいタイミングで料理が来るので、そのうち真似しようと思っていたのです(笑)。リアリティーというか、何か面白いんですよ。会話の応酬の中に、関係ない人が打つ合いの手(無言で料理を差し出し去っていくところ)が入ってくるのが。会話の途中で、主人公が心の中で呟く独り言よりも面白い(笑)。
でも、持ってくる人は話に加わったしません。それが重要な人物でなければ。喫茶店に入って話をしていたら、たまたまウェイトレスがそれに関係した情報を持っていて、というのはご都合主義です。あくまでも無名の人物であって、しかし適切なタイミングで料理や飲み物を持って来なければならない。そうでなければ、逆に不自然なのです。喫茶店やレストランは、会議室じゃないんで。だからそういうシーンを書く時は、とても気を使うんですよ。どの会話の間に、料理を出せばよいかと。コース料理のように何品か出てくる場合は、行数まで数えたりするんですよ(笑)。会話そのものを書くより時間がかかりますね。