殺人事件を扱うミステリー小説(長編)では、通常、犯人の候補は複数います。探偵はその中から真犯人を捜すわけですが、調査の過程で真の手がかりの他に、推理を間違わせるような偽の手がかりをつかまされます。犯人が用意したものもあれば、全く違う事件(でも関係者は重なっている)のものもあります。もちろん、どちらも作者が探偵ならぬ読者を欺くために用意したものです。そして関係者(代表はワトソン役)に間違った推理を語らせることも。それがミスリードですね。探偵はその真偽を選別しなければなりません。
犯人捜しでない場合、つまり(筆者が書こうとしているような)人捜しの場合でもミスリードは有効です。捜している人に関する証言で、嘘を教えられることもあれば、勘違いのこともあるでしょう。前記同様、全く違う事件をさも関係あるかのごとく突っ込んでくることもあります。そういうのをプロットに組み込んでいて思うのは、正直な人間が「偽情報」を考えるのはつらいな(笑)ということ。科学の素養がある人は、実験や調査において「データは集めたものを“全て”“正直”に提出する」のを求められることを知っています。自分がそれをするのは当然として、他人から偽のデータを与えられることすらも「仮定したくない」のですよ。でも、ミステリー小説ではそういうわけにはいかない。一本道で推理が進んでしまっては面白くないからです。やむなく、数人の人物に嘘をつかせることになるのですが…
で、誰に嘘をつかせるか。真犯人は当然、嘘をつくとして、他には? よくあるのは、AさんがBさんを犯人だと勘違いしてしまった時に、Bさんを守るためにAさんが嘘をつく、というものです。真犯人がBさんを陥れようとしてBさんに不利な証拠を残している場合もあれば、偶然が重なってBさんに嫌疑がかかるような状況になってしまった、とか、いくつかパターンがあると思いますけど。もちろん、Bさんが怪しいというのも作者(と犯人)が意図したミスリードなわけで、それを見破るための手がかりも用意しないといけない。正直な人間にはますます難しいことです(笑)。それをクリアするためには「嘘をついたのではなく、勘違いだった」というのが、心が痛まないやり方でしょうね。勘違い、記憶違いなんて、筆者も頻繁にありますから。そもそも、人間が「見た」「聞いた」「嗅いだ」だけの証拠なんて、甚だ怪しいものですよ。