こんばんは。
https://kakuyomu.jp/works/16818093074300113061六〇〇字のあとさき
「第32話 僕にはユーモアがない」が新しいです。
ユーモアというよりは、お笑いの話になりますが、
YouTubeで見かけた動画なんかで、岡田斗司夫さんは、ダウンタウンはお笑いを、分かる/分からないのものにした、という意味のことを言っています。
いち視聴者だった者として、『「松本」の「遺書」』を読んだ者として、めちゃめちゃ分かるのですね
お笑いについての、その感覚についてへの、強いこだわり。興味が無かった人とかにとっては、意味が分からないはずです、たぶん。何をそんなに特別化しているのか。
大人たちは、頭叩くとかの暴力性に目が向いていたようですが、そこじゃないんですよね。そういう批判は、まさに分かっていないということになってしまいます。
天才のボケを努力のツッコミが翻訳しているという言い方も当時されていました。
ただ、このお笑いは飽くまで、発想なんです。
教養を基礎にしたものではないんですよね。分かるための知識がある/ないではないです。
現在の僕の意識は、若い時は発想だけでもよいのかも知れないけどなあ……、という感じになっています。