作品を見て、その人が感じたことが答えであって
それが作者の狙いや思惑と一致してようがしてまいが
そこは自由で良いんじゃないかと思う。
桃太郎が善に見えても悪に見えても、取るに足らない人に見えても
自由に楽しめばいいと思う。
ただ、それらの自由勝手な解釈を持って作品を超越し
作っている作者そのものをあーだこーだ判断する手段とするのはどうだろう?
作品はサービスを多分に含んでいる
それは赤ちゃん相手に赤ちゃん言葉を使うような
相手に合わせてのサービスだったりするわけで。
別に日常的に赤ちゃん言葉で話しているわけではない。
なのにそれを逆手に取って
「こいつは赤ちゃん言葉なんて使ってる幼稚なやつだ!」
なんて判断するのはアリなのか? と。
創作の一部分を切り取って作者を判断するということは
それぐらい突拍子もないことをしている可能性は、常に考えられるべきだと思う。