へげぞぞ様、綾辻佳純様、レビューをありがとうございました。
本当に読んでいただけるだけでもありがたいのに、レヴューまでいただき、感謝しております。この紙面を借りてお礼申し上げます。
へげぞぞ様、ご指摘は反論の余地もなく、全て、私の未熟の筆のせいでございます。
キリストの絵画に関する挿入は、まあ、多元宇宙の一つが来世だと良いな、とか、楽観しております、私の心情から生まれたものでして………。
それとイエスキリストの聖像画は、子供の頃は金髪に、磔刑の絵ではブルネットに描かれることが多いのは何故かな? という、私個人の疑問でもありました。
また、ある絵描きがゴルゴダの丘の場面を絵に描いたときに、最初、キリストのためのモデルとして選んだ人物を、数年後に、ユダのモデルとしてまた選んでしまったという逸話などからも、発想しています。
早乙女一也と、旧合衆国自由主義者ジョナサン・リクターの双子の子供たち、北上真悟とその兄には、二極相反する善悪を象徴させたつもりでした。
キリスト教において、悪魔もまた、神が作りだした創造物とされています。
似て非なるもの。
人の善悪の傾倒など、神の手の上で転がされる、一時の気の迷いかもしれません。
まあ、重要なテーマということでもなかったので、ちゃんと伝わるよう一生懸命書いていません。お恥ずかしいかぎりです。
後、この小説の大前提は多元宇宙の一つとしての世界観ですが、ドラマとしては単に時間軸の通りに読んでいただければ結構です。
深読みするほど、深くありませんので(笑)
綾辻佳純様、手放しのお褒めの言葉、非常に感激しております。
大変うれしいです!
随分ときっちりと読んでいただいて、的外れどころか、ありがたい限り。
私、SFを長いこと愛読してきたのですが、諸先輩方の傑作に感銘を受けながらも、自分としてははたしてどうなのか、というあたりから小説を書くようになりました。
SFというとやはり設定、が重要視されると思うのですが、私にとってはむしろ、文学としてのドラマありき、が一番と考えています。
物語の結末が、設定の説明の終わり、ではなく、作りだされた架空世界(これはどんな種類の小説でも同じだと思いますが)に生きる登場人物たちの、苦戦する人生の生き様、その一部始終こそ、物語であると考えます。
私にとってのSF設定は、登場人物たちに立ちはだかる人生の苦境の寓意です。
一般小説よりもそのフィールドは自由度が高いので、より多くの困難を考えることが可能です。そこから如何にして、立ち上がり脱出できるか、あるいはできないか。社会の片隅で生きる名もない人物の、小さな決意から物語が動き始める。そんなストーリーが好きです。
現代人が抱える様々な心情、困難、問題を浮き彫りにし、それを温かい目線から、理屈ではなく感覚的に伝えたい。そう思います。
これから順次、他の小説もアップしていきたいと思いますので、どうぞこれからも、よろしくお願いいたします。