古くはギリシャ、諸子百家、
モンゴル帝国が国教を定めるにあたって宗教論争を開催させたり、
ヨーロッパで哲学が復興したり、と議論と論争により
理解とアイデンティティの確立を図ってきたわけですが。
近年では、自分のアタマで考えず、「巨人の肩に乗った」状態で、
議論を深めずに一気に結論に到達してしまうので。
たとえば日本の少林寺拳法の初代宗道臣氏が、大流行した空手に論争を挑むわけですが。
結局は入門した弟子たちが、互いに論難・批難しあうだけの
不毛な結果になつてしまつた(おそらくアラ還の
空手家・道士たちはあんまり仲が良くないと思う)
近いところでは改憲論争がそれだつたんじゃないかと愚考してまス。