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数十年後に腑に落ちる。

 若い頃、就職した時、先輩が

「お前、アタマ悪くねえんだから、何か疑問に思ったら、書き留めるか何かして、心の中に留めておけ。いつか答えが見つかるから」

と言ってくれた事がある。

 さほどアタマが良いという訳でも無い。とはいえ、若い頃の疑問が、今になって腑に落ちる解に至る、という事が最近続いた。(そろそろ終りが近いのだろうか)

 一つは、プロのキャメラマンである掘美臣監督と、ちょっとしたことで知り合う機会があり、

「俺、どうしても芸術って理解できないんです。何かの役に立つんでしょうか?」

と、まあ今思えば、莫迦丸出しの生意気な質問をしたわけです。

 そのとき、監督は、

「芸術は、花なんだよ。それ自体が何かの役に立つわけではない。だけど人生において必要な、たいせつなものだ」(大意)

と、端的に答えてくれたワケですが、腑に落ちないのが馬鹿の悪いところです。
四半世紀近く悶々としていたわけです。

 今夕、朝日新聞の夕刊にて、シベリア抑留を体験した石原吉郎の「花であること」が紹介されており、

「これか!」

と腑に落ちたわけです。これや。これです。これ。

 それでもって、白石新先生のライトノベル、「追放された転生貴族、外れスキルで内政無双」などを読みつつ。「けもの使いの転生聖女~もふもふ軍団と行く、のんびりSランク冒険者物語~」でのよくわからない擬音語・擬態語で格闘シーンを一行にまとめるスキルを読んで、あれ?WEB掲示板の頃にWEB小説書いてた方では?などと思ったり。で、「村人ですが何か」の文庫版を読むとやはり序盤にあるのでした。ネタバレになるとアレなのでココには書かないのですが。

 岡本太郎氏の「芸術は、バクハツだ!」は、あのメッセージだけでは妙な事を言ってるおかしなオジサンなのですが、作品群(後に一部キノコ雲ふうの絵と差し替えられたりするところまで含めて)もろともに考えて初めて、爆発的に心を動かしたいのだ!という岡本ゲイジュツを感じる事が出来るのでしょうね。

 ダリも外連味あふれるエキセントリックな自画像とか妙なタイトルまで含めて彼のゲイジュツと思えば。うーむ?

 ピカソはもう私生活まで含めて、「芸術家」としか言いようが無いっす。いや不思議な絵を描くヒトだ、でも良いのかも知れませんが。

(いやほんとこのトシになってハズカシイけど、まじでゲイジュツてわからんのです)

 話は変わり、就職直後に、職場の宿泊旅行が有り(昭和か)、温泉に、大先輩のO氏と一緒に浸かる機会があり、

「Nちゃん、毎日どう?」

と気遣ってくれた先輩に、

「もう毎日大変で、どうしたら良いか分かりません」

と答えたところ、

「Nちゃん、良いかい? 大変なことなんて、ひとつもないんだよ」

と慰めてくれたワケですが、やっぱり慰められたほうは(馬鹿なのでー)当時は良く分からなかったのです。

 さて、これまた腑に落ちる機会がやってきました。職場で長くなると、異動の内示が出たときに、調整に入るワケですが、ベテランさんほど、不安に思うのですね。
 そんな時に、私なら「そんなに思い詰めることはありませんよ」と声をかけるであろうけれども、O先輩だったら「大変なことなんて無いよ」って言ってくれるんだろうな。
 よっぽど、当時の私は、その晩にでも、どっかに飛び込んでしまいそうなくらい、思い詰めた、青っちょろい顔をしていたんだろうな、と、今にして気付くわけです。

 あとは一番最初の職場を辞めたときに、「小説家を目指したら良いんじゃないか?」と言われたのが最近腑に落ち始めている。

 次の職場では
「お前、先輩方の誰にも似ないな。普通は動きとか考え方が似てくるんだけど」
と言われ。

 3月まで居た職場が、「言われたことだけやる(それすら出来ない)・定時に来て定時に帰る(それすら出来ない)」ヒトの吹きだまりだったので、馴染めなかった。たぶん次もそうなるだろう。文筆業を目指す訳では無くても、準備はしておいても良さそう。

 直前の職場で、ようやく、水泳もジョギングも山歩きも、被災地ボランティアも諦めて、仕事一筋(コーヒー以外全部やめた)になってようやく、一人ぶんくらいは働けるようになったものの、「誰でも出来る、言われたことを、
言われたとおり」というよりは
「より効率的に、己が身体を作り替え最適化、日々改善」でやったために、
師匠(チューター)に似ないし、私のクローンとしての弟子も出来ない
(職場内での理想像を、先輩の仕事ぶりを借りて語るので、
先輩に似た後輩が出来あがるが、
自身は先輩には似ないし、自分自身に似ない後輩が育つ。)

 ずっと「誰かを助けられるようになりなよ、」と言われてきて、
弱い立場では、能力のある方のオコボレに預かって働いてきた。

 ある程度できる様になると、能力の無い連中に食い物にされてね?という
不公平感を感じるようになるのは不思議なものだ。

 まあ、「完成した」と思ったら、やはり次の段階の階段があるということは、
ウィトゲンシュタインも言ってるし、
50過ぎると、まじで下り坂なので、うまいこと立ち回るしかないんだけど。

 乱文ご容赦。

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