ああ、お礼が遅くなってすみません。
お忙しい中、小説を読んでくださり、ありがとうございます
板野さんからレビューの感想をいただきましたm(_ _)m
>「100年後の未来」という舞台設定にこだわりたいのであれば、向こう100年の科学技術の進歩を真剣に予測しつつ(例えば2045年にはAI技術が特異点を迎えると言われている)、情報統制の激化に伴って社会の全方面に起こるであろう制度や価値観の変化を事細かに考察し、それらを作中に徹底して反映するべきであろう。作中、22世紀では婚前交渉が常識の範疇外となっているという描写があるが、そのような、特異な世界であるがゆえに生じる現代との価値観の乖離を、作品の至る所でいやというほど描き尽くすことが世界観の作り込みには大切なのである。
また、あくまで情報統制社会におけるヒューマンドラマを描くことが目的で、SF的な未来描写の作り込みにはそれほどリソースを割くつもりがないというのであれば、「100年後の未来」という設定自体を放棄するという手段もある。冒頭で名を挙げた「図書館戦争」は本作と同様に情報統制社会を舞台とする作品であるが、舞台設定は刊行当時からみてせいぜい十数年先の時代でしかない。100年というスケールの時間を置かなくとも、社会の異常な変化を描くことは十分に可能である。
→な、なるほど!! 本当に20年か30年先ぐらいにしておいても良かったかもしれないです。鉛筆を消してしまうのに、100年ぐらいかかるかもと思って100年にしていました。しかし、今日アップルストアに言ってビビったことがありました。
すでに、ペンで書いたものをパソコンで読み取る技術が発達していました。しかもしかもですよ、紙はなんでもいいのです。私はこれからそれを取り寄せる予定です。はっきり言って便利すぎです。
ノートでも保管できるし、書いたものがそのままパソコンやアプリに取り込まれていきますから。これがもっと便利になっていったら(今はサイズが少し大きい)鉛筆なんて圧倒言う間に需要がなくなるかもしれません。
100年後というとSFとしての設定を細かくしていく。この鉄則に気づけたことはかなり大きいです。本当にありがとうございました!