鏡征爾へ。
いつまでも新人であり続けてくれ。
自分のスタイルなど持たないでくれ。
スタイルを持たないスタイル、なんていうものにも縛られないでくれ。
そんなメッセージをデビュー時。
飯野賢治さんからもらった。
60年代生まれの人がジョン・レノンに憧れたように
70年代生まれの人が矢沢永吉に憧れたように、
80年代生まれの僕は、飯野賢治に憧れた。
僕がクリエイターになろうと思ったのは、
彼の存在がすべてだ。
飯野賢治。
全世界で200万本を超えるヒット作を連発した、
ゲーム・クリエイター。
『Dの食卓』
『エネミー・ゼロ』
最新のフル3DCGを駆使したグラフィック。
音だけで敵を倒すアクション・ゲーム。
19歳で会社を立ち上げ、天才の名を欲しいままにした。
そんな彼が、4年前の今月20日。
突然、この世界からいなくなった。
冒頭に記したのは、そんな飯野さんが、
名前もしらない、どこの馬の骨とも分からない自分に
届けてくれた、メッセージだった。
At 2:12 PM +0900 09.4.22, wrote:
この言葉を、コメントとともに作者へ届けてください。
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鏡征爾へ。
いつまでも新人であり続けてくれ。
自分のスタイルなど持たないでくれ。
スタイルを持たないスタイル、なんていうものにも縛られないでくれ。
この作品が面白いのは、「面白ぇか」「面白くねぇか」という
シンプルな1点のみを目指して書かれたものであるからだと、僕は思う。
僕はまだ、あなたのことをなにも知らない。
ただ、1つの作品を読ませていただいただけだ。
やっと昨晩遅くに時間が取れて、一気に読ませていただいた。
匂うような個性と可能性を感じた。
それを、これからもずっと感じ続けていたい。
太田克史、或いは一部の小説界が、必死の思いで
この数年で創り上げた、ある種の領域、枠組みみたいなものを
一瞬にしてぶち破って飛び出した、その異形さを保ち続けてほしいと心から思う。
あなたに最後味方するのは、あなた自身と
エンターテインメントという最高のテーマであり、舞台である。
多くの作家が、たった数年のうちに、なぜ輝きと個性を失ってしまうのか
それは、あなただったら理解できると思う。
エンターテインメントというものが、理論で創り上げられるなんていうのは
集団創作の上での必然性が生み出した、幻想であると僕は思う。
小説というのは、そこから解き放つことができる、作家個人による創作だ。
あなたはあなたであってほしい。
集団下校なんて必要ない。
「面白ぇか」「面白くねぇか」=エンターテインメントかどうかを
常にあなた自身で考え、感じながら、創作を続けていってほしい。
今回の作品で、1つ不満があるとすれば
要所要所で、「寄り添った」形跡を、少し感じたところだ。
ただ、それはデビュー作であるという上で、やるべきことだったのかもしれない。
しかし、次作以降では、なるべく、なにかに寄り添うことなく
可能な限り、あなたで埋め尽くしてほしいと思う。
期待しています。
面白かった。
ー飯野賢治(fyto代表・ゲームクリエイター)
……。
驚愕した。
メッセージに、衝撃を受けた。
どうしていいか、わからなかった。
どうにも、何もできなかった。
自分が最も尊敬する人間に、こんな手紙を届けられたら、
あなたならどうするだろう?
僕は、結局――感謝の言葉を伝えることができなかった。
飯野さんは、最後に、
受賞作に、こんな推薦コメントを寄せてくれた。
"――それはエンターテインメントへの真摯な挑戦だ。
鏡征爾が始まった。僕らも一緒に走らなければならない"
僕は、走ることができなかった。
併走してくれる人は、いなくなった。
いまでは、もうみんないなくなってしまった。
僕は10年間、「挑戦」できなかった。
何もできないまま、10年が過ぎた。
飯野賢治の生涯は終わった。
でもその挑戦は終わらない。
だから、もう一度だけ、戦おうと思う。
言葉という名の武器で、足掻こうと思う。
飯野賢治は永遠に生き続ける。