夕方ごろ、小説のネタを考えがてらに散歩に出ていたのですが、途中で鳥のヒナの死骸を見つけました。
アスファルトの上でポツンと一匹だけ。
このままでは誰にも気づかれずに踏み潰されて、地面にこびりついた肉塊になるのは目に見えています。なので手で触れないよう気をつけて、すぐそこの街路樹の下にポンと。これで少なくとも土に還れることでしょう。
そうして、手を合わせつつ──思い出した出来事があります。
それは私が小学二年生のころのこと、道を歩いていると『行き倒れ』のお爺さんを見つけました。平日の真っ昼間、居酒屋の前で、顔を真っ赤にして寝転んでいる。『大丈夫か?』と声をかけても、苦しそうに呻めき声をあげるのみでした。
私は子供ながらに『とんでもない事態に遭遇した!』と驚いて、そして困惑しました。
怖かったんです。
そして振り返ると、遠くから後続してくる人影がありました。すると私はあろうことか、そのままお爺さんを『見捨てて』家に帰りました。きっと次に通りかかった誰かがなんとかしてくれるだろうと。
私は大人になった今でも、当時の行動を後悔しています。
状況から考えて酔っ払いが寝転んでいたという予想もできるのですが、もしそうじゃなかったら……? 彼は突発的な発作に苦しんでいて、そして次に通りかかった人間が、私のようにお爺さんを見捨ててしまったら……?
私はその日以来、深い罪悪感を抱いてきました『自分は行き倒れを見捨ててしまうような薄情な人間だ』と。
そのせいか、私は路上での『アクシデント』というものに過敏になりました。
おかげで中学生のころに、『あんよ』がようやくできるようになった赤ん坊が『一人ぼっち』で片側二車線の車道を横断しているのを見つけたとき、真っ先に保護することができました。
社会人になった後、とある住宅から『助けてくれ!』と飛び出てきた中学生の求めに応じて、家の中で意識不明で倒れていた父親のために救急車を呼ぶことができました。
その二つについては自分でも「よくやった」と思うところではあるのですが、それでもやっぱり、子供の頃の罪悪感は未だに拭えることはありません。
あのときのお爺さんには今でも謝りたいと思うところです。
何もできなくてすいませんでした、と。
と、そんなことを思い出した散歩道でした。
今日の夕飯は焼き鳥です。