私が中国史に魅せられたのは、人間の生き様が生々しくそして大量に記録されていたから。
事件も多く、内容が濃厚。
しかしその割に、エリアが限定的で広がらないので他国の勢力圏と干渉が少なく、研究がしやすい。
これが当初の私の興味の出発点だった。
しかし、私の関心は次第に変化していった。
歴史書の中の人物たちは、単なる過去の人物ではなく、まるで語りかけてくるような存在として立ち現れ始めた。
例えば、『史記』に記された呉起の生涯。
各国を渡り歩いた軌跡、そして悲劇的な最期まで、その記録は鮮明で生々しい。
彼は才能があり、理想を持ち、改革を成し遂げようとした。
しかし同時に、その生き方は多くの敵を作り、最後は悲劇的な死を迎えることになる。
このような記録を読み解くうちに、私は単なる歴史研究を超えた何かを感じる。
そこには「人はいかに生きるべきか」という普遍的な問いが隠されていた。
才能を持つ者は、それをどう活かすべきか。理想を持つことは、幸せに繋がるのか。改革者として生きることは、正しい選択なのか。
中国史には、このような問いに直面した人々の記録が豊富に残されている。
彼らの選択、その結果、そして当時の歴史家たちの評価。これらは、貴重なメッセージとなっている。
過去の人々の軌跡を通じて、自身の生き方を問い直す。
結局のところ、私にとっての中国史研究は、「人の生き方」を考えるための土台となったのだった。