ブンゲイファイトクラブ3の予選に参戦し、敗退しました。
その予選に送りこんだ作品が、昨日アップした『緋獅子の炎』です。
当初はまったく別の作品で挑むつもりでいました。
普段の自分からは出てこない、ブンゲイファイトクラブという場の空気に駆り立てられてうまれたような掌編が書けて、とても楽しかった。そちらは「幻の二回戦」にてお披露目予定です。なのですが……あれって、Twitterの投票で勝敗を決めるんでしたっけ。想像しただけで胃が痛いなあ……。
ともあれ、そのまま消えてゆくしかなかった作品に、読んでもらえるかもしれない機会が与えられるのはありがたいことです。昨年この試みをはじめてくださった方々にも、その意志を引き継いでくださった方々にも、とても感謝しています。
話が逸れました。
『緋獅子の炎』について。
もともとブンゲイファイトクラブ3の予選に出すはずだった掌編を書き終えた直後に、日比野心労さんが紹介してくださった本を読みました。
アーシュラ・K・ル=グウィン著、谷垣暁美訳『いまファンタジーにできること』(河出書房新社)。
かのル=グウィンのスピーチやエッセイ、講演をもとにした論考などを収めた一冊です。
内容は主にファンタジー論。ファンタジーを「子ども向け」として軽んじる手合い(主に批評家ですね)を舌鋒鋭く斬り捨て、数々の実証をあげながらファンタジーのちからを熱く説くル=グウィン師匠がべらぼうに格好よく、ファンタジーに育てられた私は、大げさでなく全ページに共感しつつ読みました。このさきも繰り返し読む一冊になるのだろうなと思っています。(心労さん、良き出会いをありがとうございました!)
本書に収録されている「YA文学のヤングアダルト」という文章のなかに、こんな一節がありました。(以下、160ページより引用します)
ーーー
ファンタジーは文学のもっとも古い形態です。物語を語るということが、原始人ウーグが洞穴の中で火を囲んでいる家族に、「わたしはどうやってマンモスを殺したか」を朗々と語るところから始まったとしても、ウーグの話は、全面的にリアリスティックなものではなかっただろうということは、あなた方もわたしもよくわかっていることです。ファンタジー的要素が忍びこんだに違いありません――マンモスの大きさ、牙の長さ、ウーグの豪胆さ……。彼がその話を語るたびに、話はおもしろくなりました。そして二、三代後には、『偉大なる英雄ウーグ父さんはいかにして、マンモスの王を倒したか――われわれが長牙族である理由』という物語に変わりました――伝説、神話になったのです。それは想像力による作品、つまりファンタジー作品です。
ーーー
このくだりを読むうちに、焚き火に照らされるようにして胸に浮びあがった言葉がありました。
だいぶ昔に(計算したら、ちょうど九年前でした)今は遠くに行ってしまったある方からいただいた、お守りのような言葉です。
ーーー
大事なのは、肩書きや読者の数ではないと信じています。たとえ焚き火の前で子どもひとりに語るときでも、お話はお話。十万人の読者に語るときでも変わるものじゃありません。この気持ちを忘れずに書き続けてください。無数の人に向けてではなく、ただひとりの読者にずっと語り続けてください。ぼくも力のつづく限り、そうしていくつもりです。
ーーー
この言葉と、前述の文章をはじめとする『いまファンタジーにできること』のメッセージが響きあい、どうしても書きたくなってしまったんです。
焚き火越しに語られる、純粋で根源的な物語を。
「不要不急」が切り詰められたらまっさきに切り捨てられるであろう物語の最たるものとしてのファンタジーを。
そういうお話が書けたら、それって「一番強いブンゲイ」ってことになりません?
ブンゲイファイトクラブに殴りこみをかけるにふさわしい得物になりません?
……などという思惑もあったのですが。
根っこのところにあったのは、もっと、ごくごく個人的な事情でした。
ファンタジーと私の関係は複雑です。
ファンタジー、特に、いわゆる「ハイ・ファンタジー」と呼ばれる作品が、昔は大好きでした。
今では愛憎の入り混じった思いを抱いており、とてもじゃないけど「すきです!」なんて屈託のないことは言えません。
「憎」の理由は様々です。
まず書き手としての逆恨み。大好きなのに自分には書けない。だから憎い。
次に、幼少期、自分は絶対に「物語のなかの世界」にはいけないのだと知ったときからずっと続いている「裏切られた」というこれまた逆恨み。(『緋獅子の炎』を読んでくれた連れ合いから『魔性の子』のラストとの類似性を指摘されましたが、そう、まさにあれです。私はあちら側には行けない。拒絶されている、という、片思いの悲しみです)
それから、これはファンタジーに限らず虚構全般に言えることなのですが…
どれだけ素晴らしい作品であっても、結局は作りもんじゃないですか。
作りもんは現実には勝てませんよ。勝てるわけがありません。
……と言いながら、おなじ頭で私は物語のちからを信じています。
疑いながら読んだり書いたり救われたり見放されたり、たぶん一生これが続くのだろうなと思っています。
やっぱりすきなんですよね。
なんでこんなにすきなんだろう。
ファンタジーのちからってなんなんだ。
物語のちからってなんなんだ。
そういうことを考えて考えて考えて。
その結論を物語にしてみようと思ったのです。
これがファンタジーのちからだ!
これが物語のちからだ!
私自身がそう信じられるお話が書きたい。
読んでくれたひとの一部にでも、そう感じてもらえるようなお話が書きたい。
そう思ったのです。
そうして生まれたのが『緋獅子の炎』でした。
世界観などの設定は、お話を書くことを核にしてやってゆこうと決めた遠い昔に書いた、とある長編のものをほぼそのまま用いました。続きを書きたくて、でもちからがなくて書いてあげられずにいるお話を、日のあたるところに送りだしてあげられたらな、と思ったのです。
結果はご覧の通り。
箸にも棒にもかからず、落選展に出しても数々の名作に埋もれてしまい。
こうしてまた顧みられることなく消えてゆくのでしょう。
ひとえに私の力不足です。
いいんです。これが現実。情けは無用。
ダークサイドに落っこちながら、昔あるひとから言われたことを思い出しました。
「あなたは(現実を書くのが下手だから)これまでみたいに(絵空事をこねくり回していればなんとなくそれっぽい雰囲気になる)ファンタジーを書いていたほうがいいんじゃない」
あれにはほんと腹立った。
十年近く経った今でもむかつきます。
ファンタジーのことをなんにもわかっていない彼女に。
こんなことを言わせるようなファンタジーもどきしか書けない私に。
私にちからがないせいで、私が書いたファンタジーというジャンルごと侮られた。
あの頃よりは強くなれてると思うのだけどなあ。
自分のことはよくわかりません。
いまわかるのは、私は負けたのだ、ということだけ。
心のまんなかにあった大切なもの、どこかで切り札だと信じていたものを出し切って、それでもまったく通用しなくて、身も心もぼろぼろです。完膚なきまでにってこういうことかー。
でも具体的な目標を掲げて挑戦した経験は絶対に後から生きてくるはずだし、今一度ファンタジーと向き合うことも前に進むためには必要だったと考えています。
負けることにも立ち上がることにも慣れています。
もすこし頭が冷えれば反省会だってうまくできます。
またゼロからやってゆきます。
ここからは蛇足なのですが。
六枚でハイ・ファンタジーを書く、という無謀に挑んでみようと思った背景には、第二回かぐやSFコンテストの総評座談会で出た「4000字でファンタジーを書くのは不可能だろう」という旨のお話の影響もありました。
わかる、4000字でファンタジーは難しい。限りなく不可能に近い。
ってことは、できたらめちゃめちゃ格好いいんじゃない?
だったら私がやってやろうじゃないか!2400字で!ブンゲイファイトクラブという場で!
って、思ったんですよ。
思っちゃったんですよね。
我がことながら笑っちゃう。
何かに挑戦する際に身のほどを度外視できるというのは、私の長所です。
今の私にいちばん必要なのは(技術とか場数とか読書量とか論理的思考力とか挙げはじめたらきりがないけど)おのれの内側にばかり気を取られるのをやめて、もっと外側に目を向けることだと考えています。
あたえられたテーマで書くことは、とても良い修行になる。
というわけで、次はかぐやプラネットのジェンダーSFに挑みます。
ネタ帳は未だまっしろ。テーマに対して思うところがありすぎて却ってなにも書けずにいます。
でもせっかく面白いテーマを与えてもらったのだから頑張りたい。
さて、どうなるかなー。