手を抜いている訳などなくて、たとえば遊びと趣味だって違うが、だからと遊びも舐めてはならない。本気だとか目標だとかそんなものは、その人の都合でしかなくて、本来それをもって自分の頑張りを、本気を、まるで保証しているかのように騙してかかるその誰かの心意気を破壊するために、私は趣味で小説を書いている。愉快犯である。
嘘。格好つけてみた。
最近、リアル世界で格好がつかないので、ことさら粋がる必要性を感じるのだ。
……これも嘘なんだけどね。
少し、気弱になっているので、背伸びをしてたっぷりと深呼吸しているのだ。
やっていることは、まるで見当外れに見えるかも知れないけども。
私は他人に評価されるのが大好きだ。いつだってどこでもどんな状況でも常に評価され続けていたい。誰だって本音では常に年がら年中二十四時間そう思っているはず。この五分間に十回以上誉められてやる、とか考えてる。
しかし、なのにあえて全てを破壊するための行動に出る衝動を持つ人間もいれば、計画的にそれを繰り返す人間も、何かを見た時とか、何かを聞いた時とか、そういったトリガーで衝動を持つ人もいる。
でもそれこそが、本人にとって、人に嫌われるとか評価を下げるとか、そういった相対的な価値観に振り回されて自分を見失う弱さを否定するための、心のバランスを取るための生存戦略になっていることもあるんだよ。はた迷惑にも。
見た感じでは破壊活動にしか見えないかも知れないが、たぶん救済活動なんだよ。
ほら、毒には毒を以て……