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「バルスを覚えた日」の真実をめぐって

現時点での私の当該コメントは以下の通り。
著作権侵害の申し立てにそなえ、私のコメントしか載せていません。


コメントありがとうございます。

>始まってしまったらもう提供を断ることはできない

とのお答えがありますが、私の記憶が確かなら、当時の係のかたのお話も、パンフにも、「処置を開始してから止めると、患者さんに取り返しのつかないダメージがあります」との説明がありましたが、「止めることは許されていない」という確たる言葉は無かったはずです。


また、私が挙げている問題は、「法的に罰せられる」のか、そして「個人情報が守られない」のか、ということです。貴方が接した情報は、ただ「できない」という1語の言葉だけあり、現在は表面的に波風を立てないような表現にされただけではないでしょうか?
それは、公共システムによる表現にはよくあることです。とてもよくあることです。

この事実を確認するには、ネット調査ではムリがあると思います。
55歳未満の人が実際にドナーを志願し、正当な権利を振りかざし、「法的に罰せられる」なら、それはどの法律なのか、そして「個人情報が守られない」ならそれはどのような慣習なのか、ということを突き詰めて係員に問いかけないと、本当の答えは得ることはできないでしょう。

もちろん、私のカン違いの可能性もあるし、15年前の話なのでルールが法律を含めて変更されている可能性もあります。
まあ、もし現在がそのようなシステム、つまり、「拒否すれば殺人として司法に裁かれる」または「拒否すれば名前が公表される」という「法的かつ慣習的な事実」が現在存在していると断言されるなら、私はこう言うだけのことです。

「よかった。バルスで死ぬ人はいないんだね」と。


追記への返信

誠実なお答え、ありがとうございます。
また、貴方が書かれたことに裏付けがあることも判りました。

その上で、さらに問わなければなりません。
貴方は私のそもそもの問いかけに答えていません。
繰り返しますが、私は、『「拒否すれば殺人として司法に裁かれる」または「拒否すれば名前が公表される」という「法的かつ慣習的な事実」が現在存在している』のか、と書きました。それに対する貴方の答は、「命にかかわることから撤回不可」というズレたものです。そんなレベルのことは、私も最初から判っています。本文にもそう書いています。

私の求める答えはシンプルです。
もし伝えていただけるなら、シンプルに答えていただきたいと思います。本文にも有るとおり、悪意とは限らない理由で、撤回不可の段階で本当に拒否した場合、どういう罪状で警察に逮捕されるのですか?どういう理由で名前を公表されるのですか?

貴方の言っていることは、「それは悪いことだからしてはいけない」という子ども相手のロジックです。貴方の書く記事は大人相手のものなのでしょう?私は倫理を問うているのではありません。それはすでに本文にて問いかけました。私は専門家である自称される貴方にリアルなルールを問うているのです。

もちろん、
その答えを持っていない、
そんな観点など持ったことがないので調べたこともないし、持つ必要も調べる必要もあると思っていない。
そもそも、そんな幼稚な問いに専門家たる私が答える必要などない。
と、いうのなら、しょうがありませんが。

なお、付け加えますが、私は論争が大好きです。
ただ、まったく怒ってはおりません。
実は、今とてもワクワクしています。

もし、お答えがここではできないとお考えなら、近況ノートに枠を用意しますので、ぜひ真実をお知らせください。その内容によっては、本文を書き換えることもやぶさかではありません。




私の返答はここまで。
おっと、15年前じゃなくて、登録した当時は20年以上前でした。





まだかな……

まだかなまだかな……




と、書いたのは令和2年12月28日。
新年2日、音沙汰なーし!
論争を楽しみにしてたのに、つまんないな……

少なくとも、20年前(登録は20年前、解除は15年前)の説明状況の確認は得たかったなあ。そして、私はライターという職の人にある種の偏見を持っていたので、それを払底するいい機会かなとも思ったけど、その偏見をただ強化するだけになってしまいました。
でも、このご指摘のおかげで、少々ですが新たな論点に気付くことができました。
それを考慮して、本文を少し書き直しています。大筋と結論は変わらないけど、さらに恐ろしいエッセイに生まれ変わりました。
ありがとう、岡本さん。


1件のコメント

  • 古いバージョンをここに残しておきます。



    私が呪文《バルス》を覚えたのは、40代の前半でした。
    一切の責任を負うことがなく、ひとを殺すことができる呪文。
    それはまさしく、破滅の呪文であったのです。



    何の影響を受けたのか今となっては定かではありませんが、骨髄バンクに入ろうと思い立った私は、献血で何度も訪れていた新宿の某所に出かけたのです。
    そのときの係のかたにしていただいた説明のとある一部分が、とても恐ろしく思えたのです。

    その説明は、絶対に必要なことでした。

    知っていなければ、骨髄移植という、他人を助けるパワーをふるうことはできないのです。
    そう……くだんの物語の中で、|破滅の呪文《バルス》を少女《ヒロイン》に教えた彼女の親は言ったではありませんか。

    「それを知らなければ、正しいパワーをふるうことはできない」という教えを。

    骨髄移植には、適合者が見つかってからも、いくつもの段階を踏む必要があります。
    ドナーとなる人はそのすべての段階において、人権に基づき、移植手術を拒否することができます。それは当然のことです。ドナーもまた、家族の心配やスケジュールや全身麻酔などのリスクを、赤の他人のために負わなければならないのですから。

    問題は、移植を受ける側の身体にあります。

    他人の骨髄を受け入れるためには、すでにある免疫系を抑制する必要があります。
    それは人間の身体の仕組みとして、いかに医学が進歩したとしても、移植を受ける人間が絶対に避けられない法則です。そして、その施術は一方通行です。もしその施術をしてしまった段階で、何らかの理由で移植ができなかったら。

    その人はもう、死ぬしかないのです。

    もしドナーとなる人が、その最終的な段階で、移植を拒否したとしたら。
    その人のその拒否の権利は守られるでしょう。
    守秘義務によって、そして骨髄バンクの信頼にかけて、そのことが明るみにでることは絶対にないでしょう。

    きわめて合法的に、そのドナーは見知らぬ誰かを殺すことができるのです。
    ただ「|移植をやめる《バルス》」と言うだけで!

    もちろん、そんな恐ろしいことは起きないでしょう。そもそもそれ以前の段階で、上辺だけの善人も、人間として正しくない人も、意思の弱い人も、脅迫を目的にしたヤクザも、サイコパスも、自分のあるいは関係者の判断によって、移植は中止の運びとなるでしょう。そして、移植コーデネイターもまた、その覚悟がドナーにあるか確認し続けるでしょう。
    そんなふうに試練を経るからこそ、最終的に移植を行ったドナーはまさしく「勇者」なのですよ。彼らに拍手を!

    それでも。

    みなさん。その拒否の権利は、本当にあるのですよ。
    命を踏みつけにできる人権の魔法《バルス》があるのですよ。

    倫理の問題を語るとき、いわゆる「トロッコ問題(要ググ)」を持ち出す人がいます。
    しかし、トロッコ問題に出くわすことなんて、そんな極端な状況は、たぶん人生にはそうそう起こりません。そしてもし万一(骨髄移植よりも天文学的に少ない確率で)、実際にトロッコ問題を体験したら、当事者の人生は社会的に破滅するでしょう。最終的に無罪になるにしても、法的追求は免れないでしょう。

    でもこれは、この拒否の権利は、人権に基づいて、必ず守られるのです。

    人権を神聖視するかたがたは、このことをご存じでしょうか?

    警察や、自衛隊や、死刑制度のように、より多くの人々の人権を守るために少数の人権を抑制するシステムや、その実行の責任を社会のために背負う人々を、「人殺し」と罵ってしまうかたがたは、この事実をご存じでしょうか?

    ごく普通の人権そのものが、まさしく人権であることによって、ごく普通に人殺しをするときがありうることを!

    だからこそ、それは|破滅の呪文《バルス》に違いないのです……

    当時の私もまた、くだんの物語の少女と同じように、登録をした日はなかなか寝付けませんでした。もちろん、私は私自身の善意と意志を信じてはいます。

    しかし。
    もしそのときが、本当にやってきたとしたら。

    移植コーデネイターが私の不安に気付かなかったら。
    私が土壇場で怖気づいたとしたら。
    誰でもいいから殺したい、と思うほど、そのとき心が荒んでいたとしたら。
    悪意と破滅の誘惑というものが、本当にあったとしたら。
    結局、私は、自分だけがかわいい人間だとしたら。
    母や未来の妻(このときはまだ未婚でした)に、「貴方が死んだら私は誰を恨めばいいの?」と言われたとしたら。
    そして、私が勇者ではなかったとしたら。



    私は呪文《バルス》を唱えてしまうのでしょうか?



    今でも、このことを思い返すたび、胸が苦しくなります。
    私はなんとちっぽけな人間なのでしょう……
    そして世界にはなぜ、その善意と同じ大きさの残酷さがあるのでしょう……



    そして、10余年後。
    そのときがやってきました。




    55歳になった私は、幸いにして(と言っていいのかどうかはともかくとして)、骨髄バンクを自動的に引退したのです。
    呪文《バルス》を忘れることができたのです。

    なお、これはまぎれもない事実ではありますが、「こんなことを書いたら骨髄バンクが危険視されるのでは」と非難されるかたもおられるかと思います。
    それは間違いです。
    この事実を乗り越える人しか、骨髄バンクは求めていませんから。
    そして、彼らは制限のなかでベストを尽くしている、と私は思っています。


    私がみなさんに言いたいことは、ただひとつ。
    この世には本当に、|破滅の呪文《バルス》があるのです。

    きっとそれは、骨髄バンク以外の場所にも、普通にあると思うのです。
    現に、こうして私が語るまで、貴方はこの事実を知っていましたか?
    だとしたら、私や貴方がいま知らないだけで、この世界の片隅に、|破滅の呪文《バルス》が無数に転がっているかも知れないではありませんか!


    Welcome to the Real World!
    あふれる善意と、すばらしい人権と、偉大なる勇者と、そして、まぎれもない|破滅の呪文《バルス》が、実在する現実世界にようこそ。


    そして、そんな世界でどう生きるかは、貴方の問題なのです。
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