祖母が他界しました。九十六才で、老衰でした。大往生ですね。叔父から聞きました。
教会でお別れをと、親戚が集まりました。従兄弟たちが皆成人していて、はとこも沢山……て、私が親戚付き合い疎遠なのがバレますね。身内にも陰キャを発揮してどうすると。
私は無宗教なので詳しくないのですが、祖母も叔父一家も従兄弟たちもカソリックで、ほとんど洗礼を受けています。『旅のしおり』ならぬ、葬儀ミサの流れが書かれた冊子を拝借して、参列してきました。
そう、ちゃんとミサでした。
讃美歌も歌うし、参列者一同で司祭様とのお祈りの言葉のやりとりがあったり。初見で譜面を見て讃美歌が歌えるのか? と思いましたが、いくつかは歌った記憶が朧気にあったんですよね。(もしかして、私も小さい頃、歌ったことがあったのかな?)まぁ、その辺はもう忘れています。
喪主である叔父が、挨拶と祖母への言葉を述べている時、言葉に詰まって、読めなくなって、泣いていました。叔父は穏やかな雰囲気の人で、そんな姿は初めて見たかも。参列席からは割と激しめの嗚咽や泣いている人が居て……私も、『悲しいとかはない』なんて書いていたのに、『さみしい』が決壊しましたね。泣きました。
司祭様が祖母を洗礼名で呼び、亡くなった祖母は、これから天の国に迎えられ、聖人たちと共にあり、死は新たな旅立ちなのだと……そのようなお言葉を、おっしゃっていました。
お祈りの中で、司祭様から一同一人ずつ祝福をしていただくのですが、聖体拝領は洗礼を受けている人だけです。従兄弟の中に、洗礼を受けていない子が居て、あの薄いパン欲しいから洗礼受けようかなって言ってて、可愛いかったです。(従兄弟は大人だけどね)
最後に献花して、祖母の棺を花でいっぱいにして、出棺は男性陣で日大の先生方に引き渡して、本当に最期です。
良いお別れだったと思います。
献体について。解剖の実習を終えて、焼き場の案内が来るのは、祖母の場合、再来年辺りとのこと。祖父も献体で、お骨になるまで二年あったみたい。時差が長い。
行く時、三河島駅から教会まで少し歩いたのですが、直火焼きみたいでした。
今日も暑かったですね。無理しないで、やっていきましょうか。