昨日観た映画と、近況ノートに投稿した感想へいただいたコメント(ありがとうございます😊)返信を書いていて…………ナチス・ドイツから、戦争と平時化、闘争に至る心境、などを嫌でも連想してしまいまして…………映画鑑賞というインプットから、過程を経て、珍しく思考が活発になったので、これは……アウトプットせよと🧠が囁いてますな、と。又こうして書いております。
私、一文がクソ長いですね。
子どもの頃、割と思ったことをそのまま切れ目なく喋ってしまう、残念なお喋り野郎で、母に『息継ぎしなさい』とよく言われてました。
いつだったか、家族が私に絵を描いたのを見せてきて『どう?』と言われたので、ほんの少し絵をかじっていた私は、『デッサンが狂っていて、もっと良い構成があるはずだ』と最低な暴投で応えました。もちろん家族はションボリ、どこか悲しそうでした。
その時の私は最適解をした気で居て、何をそんなに……と思い……いや、待てよ、私は何て返した? 私は質問の意図(真意)を汲まずに返答したのでは? と遅れてきた気付きを得ました。(家族は絵の出来について求めたのではなく、絵から二人で話したかっただけ)
まぁ、たった一つの気付きのみで改心出来た訳ではありませんが、昨今のXなどで日常茶飯事に見かける脊髄反射的な受け答え…………口にする前にワンクッション、考えてみようね、という心遣い(理性からの点検要請)……抜けると事故る原因になりかねません。
年齢が及ぼす老化も相まって、私は無口寄りの人間になりました。(極端)長縄跳びを前に、入っていくタイミングが掴めず、自滅して地面にめり込んでいくタイプです。(不器用)
字書きに変身することを覚えてから、書くことで大分思考をアウトプット出来ている気がします。生物的にも健全ですね。良いことです。
絵描きの自分は、心情を(謎変換で)作画する、という過程は同じでも、出てきたものが作文とは天地ほど異なる解像度でして…………文章でアウトプット出来るということは、初めて眼鏡をかけたくらい見え方が違う! そして何より、他者から私のアウトプット産物を見た時、わかり易さが天地! (二回目だし、一周しちゃった)
クソ長一文からここまで、私が今度は手に入れたばかりの作文で、思ったことを切れ目なく書いちゃってるのが丸わかりですね。(これを推敲すると、全消しにするのがわかるので、しません!)
私がよく四行空けるのは、『待って、違うの(読み易くするから)(でも推敲すると、耐えられなくて全消ししちゃうから、四行空きでなんとか!)』です。(みっともない)
始めに戻って、🧠が囁いたアウトプットは…………日本人が比較的平和思考寄りなのは、何故だろう? と。(急ハンドル)
モヤモヤ、雲を掴むような……これ! とハッキリ答えを見つけられもせず……でも、靄の向こうに、例え直接触れる道を来なくとも、輝きを放つ存在が。
そう、恐れを知らず、愛と勇気だけが友だちさという孤高のヒーローの姿が(洗脳?)……週末の朝に、視認性の高いヒーローの姿も……この国の象徴たる天……(やめておきましょうか)(政治とスポーツの話は嵐を呼ぶと)
特別〇〇と挙げなくとも、授業から道徳が薄れようとも、日本人が倫理観を養うに足るものは数多あって、何かしらで触れる機会は多いのかもしれない。
人間が、利他的に思考し行動出来る様は、あまりにも美しい。時には『ならば戦争だ!』ともなりますが。綺麗事だけでは生きていかれない。重々承知しております。
でも……美しい姿を忘れる時は、来ない方が良い。
世界が平和でないと、駄文も書き散らしていられない。
願いごとの定番は、相変わらず『世界平和』なのです。