貴族が結婚相手に求めるものは至極簡単だ。
同等か格上の家柄、同派閥、資金力や中枢での立場など。
自身の好みや趣向は一切考慮されない、所詮は親が決めた政略結婚。
だからこそ、婚約や婚姻をするまでは自由に恋を楽しんでも良いはずだと、貴族の子息や子女たちは社交の場で時間制限が設けられた恋をする。
そのような子女たちが恋焦がれ熱い視線を注ぐのが、この国の第二王子であるレナート・オルセマである。
容姿端麗、頭脳明晰、高身長で彫刻のような身体。冷たく見据える瞳は、親しい者にだけ温度を見せる。身分問わず一目で恋に落とすと言われたレナートは、ランシーン砦の一室で心臓をバクバクと鳴らしながら口を開いた。
「セレスは、どんな男が好きなんだ……?」
声は震えていなかっただろうか……と気にしながら、執務机で書類を読むセレスティーアを窺う。
数分前まで自身にくる縁談の話をしていたのだが、全てはこの質問へ持っていく為の布石である。もう随分と共に過ごしているが、今迄一度もそういったことを訊いたことが……というよりは、そういった話しが出てもセレスティーアが答えることがなかった。
レナートの女性の好みはずっとそれとなく伝え続けている。
凛々しく美しい容姿、細くしなやかな身体、情に厚く同性から絶大な指示を得て、知的で剣術に優れた女性。
具体的すぎてコレを口にするたびに周囲の者達はニヤニヤと笑うのに、本人には一切伝わらないらしく「そんな女性がいたら私が嫁にほしいな」と言われた。
兄であるルドウィーク曰く、セレスティーアは鈍いのではなく、自分がそういった恋愛的な対象となるわけがないと決めつけ、端から除外しているのだと言う。
「どんな男……?」
いつものように無視されるか、妙なことを言いだしたと呆れた顔をさせるのではないかと思っていたレナートは、予想に反して食いついてきたセレスティーアに瞳を輝かせた。
「どんなと訊かれてもな」
「容姿や体型、性格とか、色々あるだろう?」
「容姿ねぇ……」
「そう、どういった、こう、男らしいとか美しいとか……っ!?」
「近い。書類が見えないだろうが」
今日こそは!とレナートがセレスティーアの顔を覗き込む形で前のめりになると、書類から顔を上げたセレスティーアに額を指で弾かれてしまった。
「俺よりも書類のほうが大事なのか……」
「明日までに仕上げる書類だからな」
書類仕事をやりたがらない大佐達の所為で、セレスティーアの執務室には大量に書類が集まってくるのだから休む暇などない。
普段は邪魔しないように配慮する男が今日はやけに絡んでくるものだと、頬を膨らませ不貞腐れるレナートを一瞥したあとセレスティーアは書類へ顔を戻した。
「……で、どんな男?」
「まだその話を続けるのか」
「答えてくれるまで、やめない」
意外と頑固なレナートはこうなったら諦めない。
セレスティーアは面倒だと眉を顰めるが、昔から彼に甘いので面倒だろうと結局は答えてしまう。
「可愛らしい人」
「……可愛らしい?」
思わず聞き返した言葉に頷かれ、レナートはその場に唖然と立ち尽くす。
幼い頃に散々聞いた賛辞だが、成長するにつれて聞かなくなった言葉である。
「可愛いとは、何が、どのように……」
冷酷、無慈悲、恐ろしい、この三つが代名詞であるレナート。
可愛いとは何だ?容姿?中身?そもそも、男が可愛いとは何事か?とレナートは頭の中をぐるぐるさせながら、みっともなく掠れた声で答えを求めた。
「容姿もそうだが、雰囲気、性格なのだろうか?見ていて思わず頬が緩むというか……」
「容姿が、ではなく容姿も……?」
全てにおいて可愛らしくある必要があるとは、今のレナートには恐ろしくハードルが高い。
子供に見られないよう努力した結果、美しく端正な顔立ちでありながら女性的ではなく、どちらかと言えば男らしい部類となったレナートは、外見も内面も可愛いのかの字も出てこない。
「何をされても憎めず、笑顔ひとつで誤魔化されてしまうのだから困ったものだな」
「笑顔、たったそれだけで」
自分は額を指で弾かれるのに……と、レナートは天を見上げ片手で目元を覆った。
「セレス、それはきっと騙されているんだ」
「騙されても良いと思っているのだから構わないのでは?」
「……うっ」
空いていたもう片方の手も目元へと移動し、完全に顔を覆う。
これほどまでにセレスティーアから優遇されている人間が死ぬほど憎く、羨ましい。
執務室を出たあと、砦に居る可愛らしい容姿の男共を片っ端から葬る自身があるレナートは、気になっていることを恐る恐る口にした。
「随分と具体的だが、その、誰なんだ……」
「誰とは?」
「だから、それに当てはまる者がいるのだろ?」
肯定されたら三日は寝込むだろうと分かってはいても、それでも知りたい。
セレスティーアはここ数年この砦から動いていないので、彼女が口にしていた可愛い男というのはトーラスの住人か、ランシーン砦に配属されている軍人のどちらかだろう。
関りが深く親しい者の中に可愛らしい容姿の男がいただろうか……?と必死に記憶を掘り起こすが、該当する者が一人もいない。
「武器屋の息子か、肉屋の次男、いや、中央沿いにある屋台の……」
「そのどれも皆、脳も身体も筋肉でできている男達だぞ?」
もしや人によって可愛いに差異があるのではないかと、セレスティーアがよく足を運ぶ店の子息たちを口にしたが、そのどれも違うらしい。
「じゃあ、どこのどいつ?」
絶対に特定し、その者を排除……ではなく、それとなくセレスティーアの目に触れさせなければ良い。
可愛いというだけでセレスを手に入れられると思うなよ……。
そんなことを考えていれば、レナートは再び額を弾かれていた。
「……うっ、セレス?」
「まったく、そんな顔をするな」
「……」
「美しい顔が台無しだぞ?」
「どれだけ美しくても、セレスは可愛らしい顔のほうが好きなんだろう……?」
「レナート?」
セレスティーアが書類ではなくレナートへと視線を向けてくれたのに、子供のようなことを口にしてしまったレナートは顔を背けぎゅっと目を瞑り。
大丈夫。絶対にその男は生かしておかない……!
どんどん物騒になっていく己の思考に気付かず暴走一歩手前だった。
「私が天使のように可愛らしいと思った男は、レナートだけだ」
「……ぇ?」
富と権力、他にも持っているもの全てを行使し、人ひとりを破滅に追い込もうとするレナート。普段はまともなレナートをこんなぶっ飛んだ思考に追い込めるのはセレスティーアだけであり、そんな彼の暴走を止められるのもやはりセレスティーアただ一人である。
「気付かなかったのか?私が口にしていたことは、全て幼い頃のレナートのことだぞ」
レナートがパッと顔を戻すと、机に肘をついて顎を乗せていたセレスティーアと目が合った。
「幼い頃、そうか、俺か……」
「後にも先にも、あれほど私の心を掴む天使はもう現れないだろうな。小さなレナートは、本当に可愛らしかった……」
「今もあの頃とそう大差はないだろう……?」
「天使の面影などないが?」
「お、幼さが抜けただけで、容姿に違いはないと……思う」
ふるふると肩を震わせ涙目になるレナートの姿を上から下までゆっくりと眺めたセレスティーアは、ふっと鼻で笑ったあと書類へと顔を戻してしまう。
「もう可愛くはないな」
年下の愛らしい子供ではなく異性として意識してもらえるよう、レナートは日々頑張ってきた。年齢や性別を問わず国で一番の良い男と称される前騎士団長を目標に、栄養管理や身体づくりに力を入れ、筋肉がつきにくい己の身体を呪いながら人の倍の訓練をこなしてきたというのに。
可愛くない……え、可愛くないと駄目なのでは?
でも、もう、可愛くはなくて、え……?
混乱するレナートを余所にセレスティーアは書類に目を通したあと判を押す。それと同時に、普段彼女を補佐している者が執務室の扉を開けた。
「追加の書類を、あれ……レナー」
「酷い!セレスが俺をこんな身体にしたんだろう!」
レナートが両手で顔を覆いわっと叫んだタイミングで執務室に入って来たフィンは、あんまりな言葉にその場で固まってしまった。
「誤解を招くようなことを口にするな」
誤解?そう、男性が女性に向かって言う言葉ではないはず……だと、フィンは一瞬呆けたあと脳を稼働させ、手に持った大量の追加書類を執務机の上に置いた。
「……増えた、だと」
「増えました。時間がなく、休暇のレナート様の手も借りたいので、さっさと事態の収拾を」
事情などどうでも良い。この書類が最優先だとレナートを指差すフィンの視線がセレスティーアに突き刺さった。
「アー、オモイダシタ。ワタシハセガタカク、タイカクノヨイ、オトコラシイ、ケンジュツノデキルダンセイガステキダトオモウ」
「……本当に?」
「あぁ」
「可愛くなくても?」
「そうだな」
「そうか、それなら良かった」
目元を染めほわほわと微笑むレナートの姿を見たフィンは満足気に頷き。
「中身はまったく変わっていないな」
セレスティーアは呆れながら呟いた。