• エッセイ・ノンフィクション

バカな子どもと言うなかれ。

 ちょっと、思うところあるので書きます。

 作中でも触れているが、私の家族はゴリゴリの機能不全家族だった。
 父は早々に家を出て、神経発達症の母(LD、ASD、ADHD全般)は頭の悪い愛人のじいさんと外をほっつき歩いていた。
 不良が苦手だった私は家に籠ってテレビやマンガに没頭した。
 不健全な青春だったが居場所はあった。
 もしも、母やじいさんが家を占拠していたなら……私は家を飛びだし、苦手な不良とつるんでいたかもしれない。
 居場所がないのは子どもにとっては死活問題だ。
『認めて!愛して!助けて!認めて!愛して!助けて!……』
の無限ループだ。
 その苦しみから逃れようと、藁にもすがる思いで居場所を探す。
 幸い、不良は心の叫び声が顕在化しているので、家族ではない誰かでも救済しやすい。
 もはや、家族の問題は家族だけの問題ではない。
 もはや、機能不全家族は特殊家族ではない。
 機能不全家族に育った子どものころの私には、自信も集中力もなかった。
 未来を諦めていたので、思慮は恐怖でしかなかった。
 自信には愛情を。
 集中力には庇護を。
 自信の先には他愛が。
 集中力の先には学習心が。
 それでも悪さをする子どもがいるなら“気質の問題”で、自覚や認知へのアプローチが必要なのだと思う。
 大人たちには児童心理を知ってほしく、先の犯罪抑止のためにも、行政の力添えをお願いしたい。

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