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シリアス

カクヨムに限らず、世の中の多くの人々に受け容れられる娯楽小説とは一線を画する重厚な作品に、予期せず出会う時があります。そんな時、私は自分の書いているものが薄っぺらく無意味に見えて、こんな物語にシリアスというタグを付けていいのか?と自問するのです。

取り扱うテーマ、筆致、キャラ、様々な要素において小説に優劣や価値基準はなく、すべては読者の好みや感じ方、その時々の気持ちや精神年齢など、表現は多様性の中にしかないことも理解しているのですが、私は書き手である前に物語を愛する読者の一人として、重い作品が好きです。
そしてそういうものを書きたいけれど、実際に書いてみると、どうも私の生み出すキャラ達は真逆へ向かいたがるのです。不思議ですね。要するに筆力が不足しているだけなのかもしれませんが。

書き手の皆様、この不可解な現象に覚えのある方、いらっしゃるでしょうか?

ご自身の作風が好きですか
所謂自分らしいものを書けなくなる時ありませんか

良い作品に出会う喜びに葛藤がついてくるなんて、表現の道は地獄ですね。
踏み込んでしまったからには、果てを見てみたいけれども、今はまだ五里霧中のようです。

1件のコメント

  • みかんあき さま

    コメントありがとうございます(*´▽`*)
    おお、やはり作家さんの気持ちにはどこか共通点があるようですね。

    自作のキャラは愛おしいですよね。自分の分身でもあり、本懐の代弁者であり、理想形だったり、現実とは別の道を選んだ自分だったり、あの人だったり…
    自分の書いた物語を久しぶりに読み直してキャラに感情移入して泣いたこともあります…\(狂人)/

    読者様の存在は大きいですね。
    仲良くなった方はやさしさのフィルターで贔屓目に見てくださっているのかもしれませんが、少なくとも私は応援も評価もわりと厳しく付けています。星を頂くなら本物がいいなと思うので。
    自己愛と自信喪失のループの中、螺旋状に上昇して行くのかな…クリエイターの道は魂の修行と同じですね。
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