公開は2024年の6月ですが、実際は同年の2月に書いた話でした。
荒れてたときの小説です。就活中でした。
いまはだいぶ気持ちも落ち着いたので再読できるようになりました。これも長編というか、連作にできそうだな、と俯瞰して見れるようになりました。
覚書きです。
多分やりたかったことはほとんど藤本タツキの『ルックバック』です。
個人的にイメージは『セッション』、『リズと青い鳥』でした。
いただいたレビューに、青垣と晴田は物語開始前から調和したことなどないのでは?という指摘をいただきました。
これをいただけたのがうれしかったです。
入相個人としてもこのふたりは一度も調和をしたことがないと思います。
調和も断絶も言ってしまえば同じことで、うまくいってるときは「調和」といわれて気に食わなければ「断絶」と呼ばれるのではないかと思います。
絵画は一種の言語である。確か『ブルーピリオド』に登場する言葉だったと思います。
青垣と晴田はどちらも『絵画』という言語の発達度合いが近く、お互いそこではじめて語り合えた友を得た。はじめてだったから喧嘩の仕方がわからなかった。
私は常々、喧嘩したあとは仲直りをするという流れに疑問があります。
無論、謝るべきは謝るべきです。けれども「ごめん」と「ごめん」をなんとなくやりとりするのであれば、そこに意味はあるでしょうか?
現実でこんなことをいってしまうとすごく怒られるし、私も実際こんなこというやつがいたら関わらんとこ……と引いてしまうのが明白です。だから小説でやりました。
はじめてできた友達が絵がうまいのはうれしい。誇らしささえある。でも自分は一切見てもらえない。見てもらいたいだけなのか、寂しさなのか。だいすきな友達にただ呼吸してるだけで偉いというようにいわれても素直に喜べない。
こういう思春期特有の割り切れなさは正直に書けたかなと思います。
絵で友達になって、絵で絶交して、絵でまた救われた気がする。
そういう世界で一番さわやかで、嫌な気分にならない絶交があったらいいのにな、と思いました。
ただこれを最初に読んでいただいた方には
「結局、青垣は晴田が憎かったんですか?」
と聞かれてしまいました。残念。
精進します。
これを描いていたころに観ていた映画を並べておきます。
『セッション』
『リズと青い鳥』
『劇場版 RE:cycle of the PENGUDRUM:君の列車は生存戦略』
『劇場版 RE:cycle of the PENGUDRUM:僕は君を愛してる』
『劇場版ハイキュー‼ ゴミ捨て場の決戦』
『カラオケ行こ!』
『Step Up』
20241202