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帰ってきた!「漫画原作小説コンテストへの道」⑭ ~敷居の高さ~

敷居は下がり、要求される品質は上がった。

――こんにちは、埴輪です!

今夜は飲み会なので、昼間に失礼します!

でもって。

冒頭は何かと言うと、ズバリ「小説を書くこと」です。

一昔前と比べて、「小説を書くこと」、そして「小説を発表すること」の敷居は格段に下がりました。(前者は「パソコン」、後者は「インターネット」によって)

近年は電子書籍で手軽に「小説を売ること」もできるようになりました。

その一方で、その小説に対して求められる品質というものは、一昔前と比べて格段に上がっているのではないかと思うのです。

毎年、毎月、毎日、毎時、毎分、毎秒。

世の中にはどんどん新たな小説が生み出されています。
時には名作と呼ばれる作品も生まれ、それは時を経ても失われることがありません。
過去の名作を超える(と評価される)作品は希ですが、確実に存在し、名作の仲間入りを果たした小説は、新たに生まれる小説と比べられることになります。
……自身がそうされてきたように。

これが繰り返されることで、世の中には名作が増えていきます。
「必読」と絶賛される作品の数も、自ずと増えていきます。

すると、ちょっと困ったことになります。
人間に与えられた時間は、今も昔も変わらないからです。

寿命は延びました。
しかし、寿命は保証された時間ではなく、個人差があります。

保証されている時間の単位は一日24時間で、これは老いも若きも男も女も平等です。(使える時間は平等ではありませんが、ここでは言及しません!)
これでは、「必読」の作品を読むだけで一生が終わってしまうのではないか……そんな気もしてしまいます。

これを覆すには、速読を身につける……のも一つの手かもしれませんが、単純な話、名作以外の本も読んでみようと思うことが肝心です。

ただ、名作は多くの人がその面白さを認めているものですから、それを読まずして他の小説を読もうとなった場合、それなりの根拠が必要だと思います。

自分が好きな小説のジャンルが明確ならしめたもの、自分の趣向にあった、好みに合った作品を読むことで、大いに楽しむことができるでしょう。
例え世間一般に認められなくても、その面白さを知る読者達と面白さを分かち合うことができれば、それで十分。
その環境も、今は大いに整っているのですから。

それに、そもそも名作や「必読」と呼ばれる作品が、誰にでも受けいられるというわけではありません。
流行り廃りは移ろいますし、どんな名作でも、同じ時代を生きている作家の手による新作と比べれば、色褪せて見えることもあるでしょう。

だからこそ、この世に名作が溢れている今の世の中でも、新たな小説が書き綴られ、また読まれているのだと思います。

とはいえ。

これから新たに書かれる小説は、無限のとも言える作品数に加え、圧倒的知名度を誇る名作、多くの人が楽しんでいる人気作、そういった小説達の中から「よし、この作品を読もう!」と思って貰わなければならないという宿命を背負っています。

それだけでも大変なのに、いざ読まれたら即座に過去作品と比較されるという宿命もまた、背負っています。

その上で「面白い!」と評価される作品の品質たるや、相当なものだと思います!

もちろん、「面白い!」という評価の仕方も絶対的なものではありませんし、人によって基準も違うと思います。

ただ、小説に求められる最低ライン、基準は、それまで読者が触れてきた作品に依ると思われますが、どんな作品に触れてきたかと考えれば、手軽に手に取れる……家の本棚にある、本屋で売っている、図書館で借りられる……小説のはずです。

それらの品質がすでに高いわけですから、どうしたって、小説に対するイメージ、小説とはこういうものだという基準は、高まっていくものなのではないでしょうか。

その上で、改めて小説を書く敷居が下がったということを考えるとどうなるか。

誰でも小説を書き、発表し、販売することができるようになったものの、それらが読まれる、あるいは買われる保証はないばかりか、とても困難なことだと分かります。

何を当たり前な……と思われるかもしれませんが、実はこの点に関してきちんと言及されることは滅多にないのではないかと思うのです。

この「カクヨム」にしても、「自由に物語を書ける、読める、そして評価を伝えられる小説投稿サイト」となっていて、その通りなのですが、「書いた物語が読まれる」ことに関しては一切言及がありません。

……何だか、ここまで延々と書いてきた末がクレーマーなことに我ながらビックリですが、ノープランで書き出している文章の方向性なんて、得てしてこんなものです。

えーっと。

そうそう、ようやく言いたいことが見えてきました!
壮大な前振りになってしまい、誠に申し訳ございません……!

つまりですね、小説はそもそも誰かに読んで貰いがために書かれるものでして、読むことと読まれることは不可分なものだと思うのです。

それなのに、小説を書くことに関しての敷居は下がる一方なのに、読まれる点についてほとんど考慮されていないのはどうなの! ……ということです。

もちろん、小説投稿サイトを使うことによって、全国の読者に読んで貰える可能性はあります。
可能性は0と1じゃ大違いなので、これは大躍進です!

……余談ですが、私が販売している電子書籍を初めて買ってくれたのは、
海外の人でした。(確かドイツ人)

そう考えれば、確かに読んで貰えるという期待感は高まります!

……が、そこで終わり。
後は作者の努力でどうにかしてくださいと投げっぱなしなのが、小説投稿サイトの現状ではないかと思います。

もちろん、色々と手を尽くしてくれているのは分かります。
ただ、その中核には「人気作品を見い出すこと」があり、そこから零れた作品は切り捨てられてしまっていると思います。

……おかしいなぁ。
今日から7月、2016年もあと半分なので、もっとこう明るく楽しい話題を書いていこうと思っていたはずんなんだけどなぁ。
どうしてこういう話になっちゃうんだろうなぁ。

七不思議!(あと六つは不明)

……七月だけに。

お後がよろしいようで!

……と、終わってしまうと余りに余りなので、また別の結論めいたものを。

繰り返しになりますが、小説を書くことの敷居は下がったものの、要求される品質は上がったということは、まず違いないと思います。

なので、読者の方にはそれをちょっと考慮して欲しいと思うのです。

評価、レビューをする際に、それをアマチュアが書いたものであるという認識が抜け落ちてはいませんか?

もちろん、プロの作品と引けを取らない! ……みたいな評価をされるなら望外の喜びですし、コンテスト開催期間中なら、厳しい目で評価するのも一つだと思います。

ただ、誰もがそのような厳しい目を求めているわけではないということを、心の片隅にでも留めておいて頂ければと思うのです。

別に気の利いた文句じゃなくてもいいんです。
★をつけるだけでもいいんです。
ただ、作品を読んだよという足跡を残して貰えるだけで、大きな励みになるものなのですから。(もちろん、感想も頂ければなおありがたいですが!)

「いや、私はこれはと思った作品にしか評価しないぞ! 絶対にだ!」……という方もいるでしょうが、その溢れ出る評価しようという気持ちを、少しでも多くの名もなき作家に分けて頂くと、「これは!」と思った作品を評価した以上に、世界に与える影響は大きいのではないかと思います。(何か大きく出た)

……いつも以上にまとまりない感じになってしまいましたが、これ以上は収拾も図れなさそうなので、今日はここまで!

「漫画原作小説コンテスト」についは、引き続き頑張ってます!
……来週辺りからは、本当に「漫画原作小説コンテスト」を中心にした近況ノートにしたいなぁ。

では!

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