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空白について

空白について、最初の部分を書き直している。
ストーリーの軸はなんとなくできているようなので(あまり考えてなかったがこれでいいかな、という雰囲気ができた)それに沿うように変えてみたのだが、するとなんか時間軸の外から監視されてるような雰囲気になってきた(何も考えてないせいで矛盾が生じた結果)。
で、次全然監視されてない感じになったので、監視後と監視前という時間軸ができた。
私はデッサンが下手なので、描くときは大体時間立体(線が一杯で黒っぽくなってて何となく形ができてる感じ)になって完成するのだが、文章にもキュビズムやフォービズムがあるのだろう(解釈はきっとズレている)。しかし文章でキュビズムやフォービズムをやろうとすると、むしろ整然と書かねばならない気がして、絵画のような天真爛漫さは発揮できない気がする。音の表現をテキストで表現、だと絵画に近くなる気がする。

うーん、いっそ文章をキュビズムフォービズム的にするか、伏線として正統派SF寄りにするか。多分正統派SFにしたらすごく薄っぺらで書いてる側が書いてる時興奮するだろう。
キュビズムフォービズム狙いなら、まずは勉強からになるだろう。そして理解者はものすごく少ないと思う。
多分中途半端にしかできないので、おそらく0。
なんか編集画面を下スクロールすると「多くの読者に向けて」と書いてある。
別にカドカワに喧嘩を売ってるわけではないし、多くの読者に向けて書いてないからといって検閲に引っかかるわけではない。

この後ちょっとキュビズムフォービズムについて調べてみたら、2つ並べる事は私には意味がない事だった。形式に囚われるならどっちか1つを選べ。最も文章表現より分類に拘るなら文章には向かない、という自虐的な結論が出た
キュビズムについての解釈は何となく合ってる気がするが、色んな視点から見たものを1つの画面に遠近法などに囚われず表現したりするようである。時間が関係するのはまず、視点の多面性から時間が発生すると思う。それから描く側の時間の経過を作品に取り入れ、例えば朝描いて夜終わるみたいな時、ある面には朝日、ある面には夕日が当たってて影の方向も違うのがあったりする、みたいなものだろうか?あとは形状を立方体とか円柱っぽい単純な形に描く、のような部分もあるらしい。

それを文章に取り入れるというのは変わってる事をアピールするには本人にはお手軽だ。だが客観的に見ると言うのは簡単だよね、と言う感じ?

文章表現だと場面場面の切り抜きをコラージュする、という感じになるのかな。他文はキャッチコピーみたいなものになったり、詩のようなものもある。並べて絵になるイメージというと、あるテーマごともしくは場面ごとに章は固めておくといいのだろうか。
手法的に部分では、単語を分解してもいいが、そういうのは部分的でないとむしろ絵画や音楽になってしまうと思う。
ジョンケイジは、知識をアピールしたくなる人なら真っ先に挙げたい人だと思うが私もその一人であるが、テキストで音楽を表現しようとした。
しかし本人の意向で、文章表現でコラージュしたいなら、音にすべきではないと感じる。

時間軸に固める章があったり、場面軸で固める章があったり、またはある人物絡み、伏線回収の章があってもいいと思う。大きなストーリーが1つあって、その肉付けがキュビズム的、となるのが自分の理想。
1つの大きなストーリーがあると思って目を凝らすとだまし絵のように別にストーリーがあるというのもいいと思う。
ストーリー自体が崩壊してるのはあまりやりたくない。

フォービズムだが、野生派とも呼ばれ、分かり易いのがゴッホのひまわりなどが挙げられる。勢いのある鮮やかな色彩で本能的に自由奔放に描くのだが、多分アフリカ的とは違ってて、描く対象は日常のスケッチ的なもののように感じた

文章のフォービズムと言うと、日常を野生的に捉えた文章みたいな感じ?例えば風景の色が異常に鮮やかで燃え立つように描かれていたり、など?
文章のフォービズムは存在してると思う

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