結局色んな人と話したり、書く事を求められればあまり話さなくなり、書かなくなるような気がするのだが、今は俄然話す人も書く事を求められもしない。
そんななかでエネルギーをテーマにした公募の詳細が郵送されてきた。
どうしようか迷ってる。石油男の謎、という60年代テイストのSFを考えたのだが。
父は「やらない。」と言っていたが、わりといい案を持っていた。
まふゆとか、ガラスの町、とか、天才的だ!と思うような案は浮かぶのだが、多分一人の頭の中で持ってる方が夢を壊されなくていいレベルで、書き出すと埋もれていくのだろうな…。
そういや色々吉外的な演説よりもシラクサの戦いの辺りを出典つきで流酢かと考えてまだ実行してない。
これなんだけど、言葉より数式をながしたらいいのかもな。
理由は、数式は何日かかっても理解できそうにないから。見てたらある日急にわかりかたが理解できるのかも。
その代わり、物凄く頭の良い数学のできる人がフォローしてきて、吉外っぷりに酷く絶望してブロックされるという悲しい事態も出てくるかもしれない。あと、数学が物凄く得意な人は、物凄く純粋で傷つきやすい人も見たことがあるので、それ以降下手な事は呟けないという責任も。
丁度良いかもしれない。
吉外、という単語、割とうまいと思う。
「ある女の肖像」を読むと、自分以外にはよく意味が分からないだろうと思った。具体名をあてはめると読める部分もあるのだが、それを入れてもきっと伝わらない。
結構必死に書くとそういう事が起こる。
少し書き直してみようと思う。
書く事で非難の感情を持つ人もいるし、私自身を怖がってる人にとって、やっぱり最悪なやつだったという評価が下り、制裁は酷くなるかもしれない。
ただ、ちゃんとわかるように書く事で、相手の心のわだかまりも解けるかもしれない。
よく、公共の場で知らない人に言葉を投げつけられたことがあった。
多分ネット上の文についての答えだろう、そう思う。
何度かはっきりそう感じられるものがあった。
今まではそれを「幻聴」として捉えた方がいいと思っていたのだが、現実にある以上はちゃんと答えた方がいいと思う。
その回答が納得のいくものなら、いい方に完結するかもしれない。