統合失調症と診断された辺りは外出に神経を使い、異常な状態だったと思う。物理的に息ができなくなるようなことはなかったけれども視界にチカチカと光が入ったり、息苦しくはないが息が深くなってそれを見てただ事ではないように見られた。のどに虫がはいくるような痛みもあったが、それが何か妄想を生むことはなくて、もしかしたら体の症状から精神の不調があるのかと思った。
幻聴は、外国語が日本語で自分のことを言ってる、のようなことで気が付いた。
今では区別がついているのだろうか。
その前に幻聴を聞いている妄想に溺れて何をするかわからない人として周囲に映っている感覚に囚われている。で、それはあながち間違った認識ではない気がする。
一部の人々は私が自分たちの不条理的なワードにどう反応を示すか、実験のようなことをしている感じもする。それについて私は人の本能としてごくごく自然な行為のように思える。そして彼らはあまり結果を考えていなく、もし仮に良いほうに転んだとしたらそれを今後も活用し、私のような人を助ける方向に動くのだろう。逆のケースはいつか失敗と気づくだろう。
どちらにしても、自分の感覚が現実に合うようになってくれば支障はないし、合わないときは苦しむと思うし、周囲が苦しみを伝えてくる感じが辛くて何かしらサインに気付くのだと思う。
今は試されているような感じがする。
本当にこの人物は安全なのか。
あまり危険だと思われている気はしない。
もし本当に危険だと思われているなら、人はそれを察知し、観察することなく捕えているだろう。
あまりよくわからない人間が、初めて見る現象におっかなびっくり見ている、それがちょっと恐怖心に傾いてるので自分にとっても怖い。そのていどのことと捕えると、多分自体は自然に収束していくと思う。
そしてこの感覚が全部勘違いだったり夢だったらいいのに、毎日一度はそういう甘い夢を見る。
外出は気を使う。言葉に敏感になりすぎてしょっちゅう傷つく。
しかし誰も私に危害を加えることはない。
それは私が誰にも危害を与えていないという事の証明で、そこに私は自信を持って、気を確かに持てばいいと思う。