今までは自分は人より気が利かない、だから辛くてももっと我慢しなければ…
そういう考えは良くないと言われてもなかなか抜けられなかった。
でも本当はもう少し楽に生きたい。
わざわざ自分が好きなもの、言う時に相手に嫌われる事ばかり考えたくない。
ただ純粋に好きというだけで、しつこくなりたくないとか思ったりしないだけで、満たされて、楽しく、話しやすい友達と話したい。
傷ついて、本当に暗い気分になって、何年も悩んだ人が私は好きだ。
そして立ち直って自信を身に着けた人に憧れる。
自分もそういう風になりたい。
どんな風な外見でどんなふうに振る舞うとか、人から賞賛を受けるとか、そういう意識をなるべくあいまいにしたい。
その代わり、自分に見えているイメージが素晴らしいものならそこに全力で向かっていきたい。
そのためなら、もしかしたらなにか捨てなければならないものがあるのかも。
うちにはものが多すぎる。
また、今までいろんな場所に行った。お金は沢山使った。
人とうまくはやれなかったけど、多くの知らない人と同じものを共有して楽しめたことはあった。
楽しめない事ばかりではなかった。
自分を排除したがる人もいたけど、その人のうちの誰も、私は排除したくなかった。
このひとさえいなければ、そう思った瞬間があってもすごく辛い気分になり、考え直せた。
考えてみればそういう風に思えるのって幸せな事だと思う。
幸せは結果であって、本当に必要なのはただ、何かに向かっていくことだと思う。
時に休むこともあるだろう。休んでいるとき、心は過去に向かうかもしれない。
または何も見ないという瞬間があるかもしれない。
過去に向かう瞬間、何も見ない瞬間、そういうものも何故だかとてもロマンを感じる。
大勢の人と同じものを共有する事、孤独で誰とも通じ合えない瞬間、そして何か不穏な動きを感じ取ること、人を愛し、分かり合える瞬間。
他にもたくさん色々な、ロマンを感じる事がある。
自分が大勢から信じてもらえた瞬間、自分が悪人にされた瞬間、どちらもとても劇的な出来事。
書き留めておく価値があると思う。
元気な時は元気な事、辛い時は辛い事、
楽しい時は楽しい事、アンニュイはやはり文学的だって事
素直になってみると今まで一度も触れたことのない自分に触れ、自分自身、他人ともっと分かり合えることが増えるかも。
他人に分からない、自分だけの言葉。
それは新しい潮流を生むかもしれない。
幸い、作家は変わり者が多い。
どんな立場の人でも、フィクションという枠組みの中で
自分だけの言葉を紡いで行ける。