昨日、リクエストをいただいたので。
SSをひとつ ↓ ↓ ↓
『ルクトニア領百花繚乱円舞曲』より
タイトル「ご褒美のキス」
「もういやだ、おれは戻らないっ。あんなところうんざりだっ!」
その後に続くのは、足をばたつかせる音と、聞くのも滅入る罵詈雑言。
アレクシアはため息をついてソファの上でうつ伏せになっているジュリアを見た。
まるでバタ足で泳ぎだしそうな勢いだ。
とてもじゃないが、サロンで待っている紳士淑女のみなさまに見せられる姿ではない。
「ジュリア、わがまま言わないでください。もう少しの辛抱ですよ」
慎重にソファに近づきながら、アレクシアは声をかける。
「うるさいっ!」
案の定、クッションが飛んできた。
ひょいとそれを躱すと、それも気に入らなかったらしい。「よけるな!」と怒鳴ってジュリアはがばりと顔を上げる。
ほっとしたのは。
化粧も美貌も崩れてはいなかったからだ。
ソファにうつ伏せていたから髪型の崩れはないし、これならすぐに会場に戻れる。
「おれは帰る!」
強情に言い張るのは、先王ジョージの忘れ形見であり、男子であることを秘匿して育てられたジュリアだ。
現在はルクトニア領主に封じられ、女子として過ごしている。
黙ってさえいれば〝ルクトニアの麗しい薔薇〟だの、〝賢王ジョージの掌中の珠〟とその美貌をほめたたえられるのだが……。
いかんせん、この女装王子は短気で横暴、口が悪い。アレクシアなど、「取り柄は顔だけでは」と真剣に思っている。
アレクシア・フォン・ヴォルフヤークトは、彼の外国語家庭教師として雇われたのだが、能力を買われて、というより、背の高さを買われた。
アレクシアの父は亡命貴族であり、この国の女子よりもけた違いに身長がある。
18歳となったジュリアは、外見の性別は誤魔化せても、身長の高さはごまかせない。そこで同じような背の高さのアレクシアを雇ったというわけだった。
「一週間前のお茶会も体調不良で途中退席。三日前の舞踏会も体調不良で途中退席。今日のサロンも体調不良で途中退席したら、ジュリアの評判が落ちますよ? 不治の病にかかっていると言われかねません」
アレクシアは腕を組み、ジュリアを見下ろす。
「実際、あんな低劣で愚鈍で卑猥な奴らの中にいたら、病気にもなる!」
噛みつかれんばかりに怒鳴られ、アレクシアはちらりとウィリアムを見る。
彼はジュリアの乳兄弟であり、護衛騎士でもある。
口が悪いのはいつものこととはいえ、最後の「卑猥」が気になった。アレクシアが目を離したすきに、参加者になにかされたのだろうか。
「サロン主宰者のマダムの……ご子息がジュリアにちょっと……色目をね」
アレクシアよりはるかに長身の騎士は、肩を竦めて苦笑いした。
「あー……。なるほど……」
本人が一番女装などしたくないと毎日喚いているのだ。それなのに、女性として扱われ、女性として男性から迫られたら……。なかなかにきつい状況ではあるだろう。
「じゃあ、私が庇って差し上げますから。さ、そろそろここを出ましょう。サロンに戻りますよ」
アレクシアは促す。
ちょっと頭痛が……、と言って控室に引っ込ませたが、いつまでもここに籠城するわけにはいかない。
「い や だ! 帰る! 馬車を準備しろ!」
またひとつ、クッションを投げつけられた。
「ジュリア」
足元に転がったクッションを拾い上げ、ウィリアムがソファに近づく。
「いやだ。戻らないぞ」
跳ね起き、ソファの上で行儀悪く胡座をしたジュリアは、年上の幼馴染を睨みつけた。だが、ウィリアムは笑顔のままだ。
「このサロン、頑張って最後まで参加したら、アレクシア嬢がご褒美にキスをしてくれるそうですよ」
「なっ⁉」
思わず声を上げたが、ジュリアは逆ににやりと笑った。
「本当か、アレクシア」
「は……、え……。う……」
ここで「いやです」と言おうものなら、また「帰る」「馬車だ」「参加者を始末しろ」と言いかねない。
「……い……い……ですよ……」
曖昧に頷くと、ジュリアは素早く立ち上がる。
「会場に戻るぞ! 参加者たちをおれの美貌でひれ伏してくれる!」
エスコートしろ、ウィリアム、と勢いよくジュリアは飛び出していった。
数年後。
「失礼します」
断りを入れて部屋に入ると、ソファの側で待機しているウィリアムがちらりと視線を送ってきた。ひょいと肩を竦めるところを見ると、まだだいぶん機嫌が悪いらしい。
「アレクシア」
「はい」
呼ばれてソファに近づく。
そっと様子をうかがって、思わず吹き出しそうになった。
柳眉は寄り、薄いが形の良い唇は見事にへの字に曲がっていたのだ。
「おれは今日、頑張ったと思わないか」
尋ねられ、くつくつと笑いを押し殺して頷く。
五年前に出会った女装男子は、今、ユリウスと名前を変え、立派で美麗なこの国の王となった。本人はすぐに退位するつもりで話を進めており、実際、一年後にはアレクシアと共に懐かしのルクトニア領に戻る予定だ。
「低能で下劣で品性の欠片もない奴らと食事をしてきたのだ。そうだろう?」
長い脚を組み、いらいらと揺すらせながらそんなことを言う。
「そうですね。頑張りましたね」
「ならば、お前から褒美をもらわねば」
にやりと笑ってそんなことを言われた。
アレクシアはきょとんとしたものの、すぐにそれが数年前の「キス」のことだと思いだす。
「まだそんなことを」
噴き出して笑ってしまう。
そうだ、そんなことがあった。
『終わったぞ! おれにキスをしろ!』
外見上は美少女が両腰に手を当て、胸を張って命じるのだが……。
アレクシアはどこにすればいいかわからない。
『あの……。おでこですか、ほっぺたですか、頭ですか?』
おろおろと尋ねる。
『そんなものお前……っ』
ジュリアはそこで口ごもり、結局ふたりとも顔を真っ赤にして立ち尽くしたのだ。
『さ。馬車の準備ができましたよ。帰りましょう、ふたりとも』
結局ウィリアムに促され、うなだれて帰ったのを思い出す。
「どこにすればいいんですか?」
アレクシアはユリウスの前に回り込み、小首を傾げて尋ねる。
「そんなもの、お前」
ユリウスは笑うと、ソファから立ち上がった。
アレクシアの顎をつまみ、つい、と上を向かせる。
「唇に決まってんだろ」
言葉が唇をなぞると同時に、柔らかく重なる。
「おやおや。今日は馬車の準備は必要ないようで」
背後でウィリアムの声が聞こえ、アレクシアとユリウスはふたりして笑いあった。
(おしまい)