自宅リビングのテーブルの下でクマの人形を拾った。
クマといっても直立二足歩行の擬人化されたもので、その手足の短さや丸みから、おそらく子供のクマなのだろう。
また人形といっても、高さは10cmにも満たない、真っ白なプラスチックのマスコットだ。
愛くるしい瞳や表情はそこに描かれておらず、美術室にあるデッサン用の石膏人形のような無機質な表情を浮かべている。
頭の部分には紐が通せるようになっているので、おそらくはこのプレーンな人形を着色してオリジナルのチャームやキーホルダーにするのが本来の使い方なのだろう。
なぜクマの人形がこんなところに落ちているのか?
たぶん次女の仕業だろう。
たまにお子様ランチやハッピーセットのおまけとして、何だかよくわからないものを貰って帰ってくる。
で、そこまで興味があって貰ったものでもないので、貰ったことさえ忘れてそこらに放ってしまうのだ。
まったくもう……。
ぼくはそれをポケットに仕舞った。
中也の詩に『月夜の浜辺』というものがある。
【 月夜の晩に、拾ったボタンは
どうしてそれが 捨てられようか? 】
ぼくがそのクマの人形をゴミ箱ではなくポケットに仕舞ったのは、そんな心境だったからなのかもしれない。
短い手足、少ない頭身。
どこにもトガリのない、おおらかな曲線。
見るほどに、数年前の子どもたち———特に次女のフォルムに似ているようにぼくには思えた。
どうしてそれが、捨てられようか?
それはまったくの気まぐれではあったのだけれど、ぼくはこの人形の本来の役割を全うさせてやりたいと思ったのだ。
* * * * * *
小学校から帰ってきた次女が、なにやらヨメと口論している。ぼくはそれを仕事部屋から聞くとはなしに聞いている。
「だからいつも言ってるでしょう?ちゃんと仕舞っておかないから失くしちゃうんだよ」
ヨメの声だ。また大事なプリントでも失くしてしまったのだろう。
珍しいことでもない。
「ここにちゃんと置いておいたんだよ!明日の図工で使うから!」
おや?これはちょっと珍しい。
次女が正面から反論している。
このトーンは本気のやつだ。
「知らないよ! クマの白い人形? ママそんなの見てないもん」
……ん?
「ほんとにほんとにここに置いておいたの!忘れないように!」
そうか……このクマの人形は学校で使う大切なものだったのか。
さて、どうしたものかな……。
