仏教伝来と律令国家の成立の勉強がとりあえず一周したのですが、すかさず次の課題に引っ掛かっています。
荘園ってなんだよ( ゚ω゚)
私が使いたいのが「開発領主」という存在であることはもんやりと把握しているのですが、荘園のしくみのどこに開発領主が入ってくるのかがワカラナイ。
だから荘園ってなんだよ( ゚ω゚)
せっかく神仏習合が呑み込めたのに、また難題ですわ。
そもそも荘園の分布自体が全国的に西高東低の傾向が明らかなので、めんどくさい。古墳の分布の方がまだわかりやすいわあなどとブツクサいいながら山川出版詳説日本史Bの教科書を開いて勉強しています。
古墳や荘園が代表例ですが、東日本を小説の舞台にしようとすると実は歴史教科書の内容が西日本の事例に偏っていることに気づかされます。
そうなってくると考古学や史学というカテゴリとは違う、考古学史や史学史という学問の成り立ち自体にも目を向けなければならないという効率の悪さで、なかなか勉強が先に進まない。
だから荘園ってなんなんだよ( ゚ω゚)
そんな勉強の合間にオモシロ浮世絵を漁るのが癖になってきまして、今回ご紹介するのは神功皇后(じんぐうこうごう)と武内宿禰(たけうちのすくね)ですね。
神功皇后は仲哀天皇の后なのですが、熊襲征伐の途中で仲哀天皇が亡くなってしまったため急遽自らが男装、武装して陣を率いたという人物です。
そして夫の死を隠したまま今度は新羅に遠征して勝利、新羅王宮の扉に矛をぶっ差してから凱旋し、しかもその遠征途中で出産するという。
生まれたお子さんが次の天皇の応神天皇ですな。
西洋で似たような話となると、タロットカードの女教皇のカードのモデルになったといわれる人物が思い出されます。
ヨハンナという名の彼女は男装して教皇の位にまで上り詰めますが、祭壇上で出産してしまい女であることがばれて追放されるというエピソードだったかと。
それに比べると神功皇后は堂々と男装して軍の将となり、かつ陣中で世継ぎとなる天皇を出産するという大仕事まで成し遂げております。つうか、夫の急死から怒涛の展開立て続けです。
シングル女性の社会的負担が大きすぎるぅ!(´Д`;)
武内宿禰はそんな神功皇后を支えた忠臣です。仲哀天皇と応神天皇を含めた天皇五代にわたって仕えたという伝説の人物で、……なんか常に爺さんとして浮世絵に描かれます。
幼少期の応神天皇とセットで描かれ、長寿と若さの組み合わせが目出度いということでもてはやされたようです。
もうちょっとくだけて面白いのが、月岡芳年の筆による神功皇后が猫を釣っている絵ですね。弁財天あたりのイメージと重ねているのでしょうか、男装して太刀も佩いた神功皇后が恵比寿さんの釣り竿を借りて猫をじゃらしている愉快な絵です。
芳年は別の作品で神功皇后と武内宿禰が釣りをしている姿も書いていることから、この絵の恵比寿さんは、もしかしたら武内宿禰の見立てかもしれませんね。
江戸後期の作品ですから、かなり記紀のイメージが市民に浸透していることが伺えるのですが……いや、明治初期には天照大神を知らない人たちも多かったんですよ? その辺のギャップが……
いいから荘園に戻ってこい( ゚ω゚)
うっかり江戸に引き戻されがちですが、頑張って荘園を飲み込みたいと思います!
……荘園って食べモノー?( ゚ω゚)
*景行天皇の御子である小碓命(おうすのみこと)は、女装して熊襲の長、熊襲タケルの宴会に潜り込み、その席で熊襲タケルを暗殺しました。
熊襲タケルは死に際、小碓命に自分の名を贈り、小碓命はその後、日本武尊(やまとタケルのみこと)と名乗るようになるのです。
……女装した小碓命クン(16歳)の酒席サービスに熊襲タケル氏はだいぶ満足していたものと思われます( ゚ω゚)
日本武尊や神功皇后のエピソードを併せてみると、本邦の異性装は「神」もしくは「神に近い存在(天皇とその近しい親族)」にのみ許された行いであったことが示唆されます。これは江戸の山王神社の祭礼行列の一部に、男装した女性が神に仕える者として参加していたことと矛盾しません。
なんなら天照大神は男性でもあり女性でもあった、という言説の根拠ともなります。両性具有ではないんですよ。"どちらかであり、どちらでもある"なんです。
もし異性装が「天皇家にのみ許された行為」であったなら、近世まで異性装が厳しく制限されたことへの説得力が増すのではないかと思います。
「下賤の者がおこがましくも神の真似とは無礼千万、心得違いも甚だしいわ!」ってな感じですかね。
ま、私見ですよ!( ゚ω゚)
**短編の執筆が始まっているため、わたくしの言語表現の蛇口が全開になっております。脳ミソの中身の駄々洩れ甚だしい長文近況ノートでお目汚しいたしますことをお詫び申し上げるのです( ゚ω゚;)