これを書いておかないとどうも尻の据わりが悪いので、えいや!と今夜、書いてしまいます。
さて、先日の取材ノートで匂わせ程度でひっこめた羽黒信仰と墨堤名物桜餅、どこにどんなつながりがあるのかをお話していこうかと思います。
まずは庄内羽黒山、出羽三山の羽黒信仰のおさらいからです。
出羽三山は、羽黒山、月山、湯殿山の三つの山からなっております。
羽黒山が死者の霊魂の入り口、月山が霊魂の留まる地、そして湯殿山では霊魂の再生が行われると信じられており、羽黒山~月山~湯殿山と歩くことで生まれ変わりを再現できる、そんな信仰の概略でございます。
この三つの山ですが、a、bに示したのは現地羽黒山の鳥居に掲げられた扁額です。月山が真ん中にあって、aでは湯殿山神社が左、右に出羽神社とあります。bですと位置は変わらず山の名前になっていますね。cは羽黒山に至る前の集落にあった石碑です。湯殿山が真ん中にある。
順番名称が統一されていてもよさそうなものですが、特にこの並び順の変化に意味は見いだされていないようです。失われてしまったのか、元から無いのかも判然としないのは、やはり明治維新で抑圧された歴史を持つ信仰だからかもしれません。
……3連単か3連複かではだいぶ意味合いが違いますからね、私としては並び順には意味があったと思いたいです( ゚ω゚) ←すっ込んでろ
さてこの「生まれ変わり」がキーワードである出羽信仰、江戸の半ばごろから御師・山伏が山を下り、人の集まる地域へ布教をしに参ります。庄内は酒田港という栄えた港があるため海路を使った、と思いきや、陸路はるばる江戸までやってくるのが主流だったようでございます。
その道すがら、今でいうところの福島県や群馬県、ちばらぎ(ちばらき?)なんかを通りまして、てくてくと歩いて参るのですが、特にこの出羽信仰、下総の国でフィーバーしたそうです。
詳しくはこちらをご参照ください。「梵天にみる房総の出羽三山信仰」(千葉県立博物館
https://www.chiba-muse.or.jp/NATURAL/special/bonten/index.html)「生まれ変わり」、つまりは今でいうところの転生ですかね、まあ、いつの世の中でも人気のジャンルと申しましょうか、特に江戸に至った出羽信仰は、江戸で女中奉公していたお竹さん(庄内出身)、という若い女性の登場をもって熱狂的な盛り上がりを見せます。
このお竹さん、奉公先で自分の食事を貧しい者に与え、自分は台所の流しの排水溝にたまったゴミを集めて食べていた、ということでございます。……( ゚ω゚)
現代の価値観とは少々ずれますが、奉公先の主人への忠誠や貧しい者への施しが善行と評判になり、お竹さんが若くして亡くなった後に実は大日如来の生まれ変わりであったと讃えられた、そんな経緯でございます。
この辺り、もともと庄内出身で羽黒山を信仰していたお竹さんの存在を羽黒山の御師が布教話に取り入れたというのが真相のようです( ゚ω゚)
その人気を表すのが、すみませんね順番が色々で、eの黄表紙で、式亭三馬という有名どころがお竹さんを題材にしたお話を書いた「鳥籠山鸚鵡助剣」という題名です。当時の人気作家ですからね、流行モノは必ず書きます。
そんなこんなで現代を生きるものとして突っ込みどころは多々あれど、世の中のブームというものはだいたいそんなモノでございまして、江戸の一時期に流行したお竹さんは羽黒山のふもとに今も祀られております。それがdですね。
出羽三山を拝んでいるのか、うら若き女性アイドルを崇めているのか、とにもかくにも出羽信仰もしくは羽黒信仰は関東一円に広がりを見せます。そのうちの一つが千葉県であったと先ほど申し述べましたが、さてこの下総の国から男が一人、江戸へやってきます。
農家辺りの口減らし、江戸で一旗揚げようとの心意気があったかどうか、男は荒川江戸川を越えて隅田川を超えたあたりでもういいや、と思ったかどうかは知りませんが、あるお寺の寺男として雇われることになりました。そのお寺、墨田川沿いの長命寺には見事な桜がありまして、春には良い香りの花が咲いたそうでございます。
この香りをどうにか年中楽しめないかと、和尚の発案で桜の葉の塩漬けを始めたそうでございます。漬けてみると香りはいいがそれだけで、ならばいっそ餅を包めば、と発案したのが寺男だったそうで、やってみたら旨かった。これほど旨いなら売れるんじゃないか、と、桜の季節、墨堤へやってくる花見客に売ってみたところ大評判となった、というお話で。
……ここまでは、桜餅の歴史あたりを探っていただければどなたさまも辿り着くことができるのですが、私はこの寺男、これが墨田に羽黒信仰を一緒に持ってきたのではないかと考えたわけでございます。写真の f ですね。これが隅田川沿いは桜餅で有名な長命寺境内にある羽黒信仰の石碑です。
由来不明、って書かれているんですよ。
真ん中に湯殿山、左右に羽黒山と月山と彫られており、「転生」の象徴である湯殿山人気の高さが伺えます。みんな大好き、異世界転生!( ゚ω゚)
そんな出羽信仰の歴史と桜餅の歴史がクロスしたところに千葉県出身の寺男の存在がもんやり立ち上ってきたわけでございますが、この辺りが歴史を調べていく醍醐味かと存じます。
ちょっとそろそろここまで一息に書いてきた私の言語中枢がエラー音を出し始めましたので、最後に長命寺の桜餅の現物写真gをご紹介して、この取材ノートの〆とさせていただきます。
牛皮がね、白いんですよ!餡はこしあんです。好き( ゚ω゚)♡
そんなこんなで皆様も季節の桜餅を食べるときは、庄内の出羽三山と千葉県出身のおっさんを一緒に思い浮かべていただければと思います。……私の脳ミソがそうなっちゃったんで、これ読んだ皆さんも巻き込みますわ!
*「鳥籠山鸚鵡助剣」は国立国会図書館デジタルコレクションより画像を引用しています。URL:
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2554412?tocOpened=1*書き忘れていたこと追加です。
民間信仰レベルの出羽信仰の石碑には梵字が刻まれて仏教的性質が色濃く残っていますが、羽黒山ふもとでは水天宮や氷川神社に見られる三つ巴紋、山頂の鳥居では明治政府への恭順を示すと思われる菊花紋が記されていることも着目すべき点です。
三つ巴紋は祭神が特別な紋を持たない場合に使用されることが多いことから、この紋を持つ神社は明治政府による宗教改革以前には記紀神ではない信仰対象を祀っていた可能性がある、そんな目安にもなります。私見です。