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取材ノート:「翠雨の水紋」(30)永代橋

寅衛門「さて、最終章は今のところ全3話の予定だが」
寅吉「前フリ取材ノート2回分の資料がございます」
寅衛門「・・・・・・なあ、やっぱり効率悪いよな。この間だって山王祭のこと、かなり調べてたくせに、実際の本文はナレーション100文字で終わりだったんだぜ」
寅吉「ワシらがここで喋っているほうが文字数多いという」
寅衛門「十倍以上な」
寅吉「しかたないでしょう、作者の趣味ですし!」

寅衛門「気を取り直して。例によってこの浮世絵から見ていこう。図中、A1~A3はすべて永代橋という隅田川にかかる橋を描いたものだ」
寅吉「上から順に1850年頃、1866年、1875年ですね」

寅衛門「A1の1850年、橋を行き交う人々はまさしく江戸。橋の袂にはアサリを売る屋台も出ているな」
寅吉「A2の1866年のこれは、幕府軍ですか」
寅衛門「幕府の歩兵隊かな。ご婦人方の目は隊列の先頭で太鼓をたたくお子様に釘づけだ」
寅吉「後ろにいる黒っぽい人達が銃歩兵ですか。・・・・・・あれ、袴をたたんだちょうちんブルマスタイル、やめたんですか」
寅衛門「このズボンのようにぴったりした衣服も、伊賀袴、という名のれっきとした和服だ。動きづらいとはいえ、やはり武士が半ケツ状態はいかがなものかと思われたんだろうな」
寅吉「駕籠かきは相変わらず、半ケツですもんね」

寅衛門「A3は明治維新後だ。図中、明治八年と云う文字が見える」
寅吉「突然開化しやがって……!」
寅衛門「急にどうした」
寅吉「いきなり雰囲気、違うじゃないですか! 馬車とか、郵便夫とか、人力車とか!」
寅衛門「洋傘を差している人もいるな。だが棒振りの姿も、ちょんまげ姿もまだ見られる」

寅吉「なんか橋の脇に、古い木の杭がありますが、これは何ですか?」
寅衛門「明治政府は、維新後早々の明治8年(1875年)に永代橋を架け替えた。つまり、A1とA2で描かれた橋がA3では既に遺構として描かれている」
寅吉「・・・・・・新徴組、料亭百川、千代田稲荷、永代橋。『翠雨』は最後の最後までそんなんを取り扱うんですね」
寅衛門「いや?」
寅吉「え?」

寅衛門「『翠雨』で取り扱うのは永代橋ではない。A1~A3の絵をよく見比べて欲しい。川の流れや画面向こうに見える佃島などの地形が変わらないのは勿論だが、時代を通して変化していない物がある」
寅吉「なんでしょうね~。……あ、3枚すべてに羽織着流し一人で散歩中の若旦那がいる!」
寅衛門「え? ……ほんとだ、良く気付いたな」
寅吉「同一人物だったりして」
寅衛門「まさか! って、そこじゃないんだわ!」ポフン
寅吉「・・・・・・ワシのマズルに肉球あてないで下さい」

寅衛門「川面に船がたくさん浮かんでいるだろう。永代橋はこのように船が行き交う光景が名物だった場所だ」
寅吉「米とかですかね」
寅衛門「他にも多くの品物が関西地方から運ばれたり、あるいは東北地方への輸送の拠点となったりしていた」
寅吉「船、大きくないですか?・・・・・・ん? もしかしてA1からA3の3枚の絵に描かれている船、同じじゃないですか!」
寅衛門「そうそう、これが日本が誇る沿岸型大規模輸送船、弁財船だ。1千石を運ぶと言われる船だ、大きいぞ」
寅吉「帆船ですか」
寅衛門「江戸の後期には航海術が発達し、帆船でも大阪から江戸まで最短6日で航行することが可能だったという」
寅吉「早いッスね!」
寅衛門「いうて将軍家茂は蒸気船で大阪から江戸に3日未満で帰還している」
寅吉「むう、やはり機動能力に差がありますか」

寅衛門「Bの写真が、作者が江戸東京博物館で撮ってきた弁財船の模型の写真だ」
寅吉「かなり頑丈そうですね」
寅衛門「日本の沿岸は岩礁の磯と遠浅の海が隣接する複雑な地形で構成されている。そういった地形に適応した構造をしているといえるだろう」
寅吉「バナナボートは破けるんスよねぇ……」

寅衛門「弁財船は長い年月をかけて日本の港湾の性質に見合った構造や機能を手に入れた。世の中が明治になっても、どころか昭和の初期まで、弁財船は現役で使われたらしい」
寅吉「燃料が要らないというのはエコですよね」
寅衛門「まあな」
寅吉「風が無いと人力、ですけれど(遠い目」

寅衛門「Cは1877年の版画だ。この頃から浮世絵は西洋版画の影響を強く受け始め、近代版画へと移行していく」
寅吉「一方で、浮世絵のオモシロ部分がマンガの系譜に連なるんですよね!」
寅衛門「この版画のシリーズで蒸気船と弁財船が並んでいる光景を描いたものがあるが、国会図書館では所蔵していなかった。東京ガスのHPで公開されているので、ご興味あればご覧ください」(東京ガス:がす資料館 *ttps://www.gasmuseum.jp/blog/20210903/)

寅吉「で、結局、船がこの近況ノートの主題なんですか?」
寅衛門「・・・・・・いや、この船の話題自体、次回の近況ノートの前フリだ」
寅吉「そういうのさあ! そういう各話すべてが後半の伏線っていう鬼のような構成、『翠雨』本編だけにしといてくださいよう!」
寅衛門「『翠雨』自体が次作の前フリだし、なんなら無印『千鳥』以降、すべての話が最終作の前フリだ」
寅吉「伏線であやとりでもするんすか」
寅衛門「伏線で身動きが取れなくなっているともいう」
寅吉「とりあえず、今夜はもう雪見酒と行きましょう」
寅衛門「どうせ明日は休みだしな」

寅吉「それではまた近いうちに」
寅衛門「ぬっくぬくにしてお過ごしください!」

*資料は国立国会図書館デジタルコレクションより引用しています。
東京名所. [7] https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2592132?tocOpened=1
東京第一名所永代橋之真景 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1307419
東都永代橋風景の図 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9366872
江戸名所永代橋の風景 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1307402

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