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新宿角筈

……今夜も力尽きての画像のみのご紹介です。

 「翠雨の水紋」(https://kakuyomu.jp/works/1177354054934988614)クライマックスの舞台となっているのがこちら、新宿の熊野十二社です。当時、この神社には大きくて浅い池が隣接していて、風景を楽しむ料理屋が軒を連ねていたそうです。
 今は新宿公園となっていて、図中、黒い★が東京都庁のある場所になります。

 羽代下屋敷こと朝永讃岐守下屋敷は水色の★印の場所にあって、本来畑だった土地を屋敷にさせて頂きました。いい土だヨ!(゚ω゚) 

 矢印の向きは、渋谷を通って赤坂から日比谷の上屋敷へと向かう道を示しています。先日ご紹介した宮益坂からは、大山街道という道が江城の赤坂御門へと続いていて、当時はメジャーな通行路となっていました。作中の登場人物もこの街道を通っていますので、また後日、紹介させていただきます。

 図中赤い★は、現在、JR新宿駅がある所です。
 甲州街道は今も新宿から山梨まで伸びる国道20号であり、新宿駅から東、図中の切絵図では下方向になりますが、そちらへ1kmほど移動すると内藤家下屋敷の跡である新宿御苑が広がります。羽代の下屋敷は新宿御苑の日本庭園をイメージしています。

 切絵図最下部に四ツ谷大木戸がありますが、ここから下が江戸府内にあたります。幕末、三田薩摩藩邸の焼き討ちがあった翌日、酒井氏はこの四ツ谷大木戸を含む江戸の入り口を全て封鎖し、薩長軍との本格的な交戦の準備に入りました。
 今、栄えている新宿の町は四ツ谷大木戸の外だったので、当時は郊外扱いでした。……二丁目はギリ、栄えていたかも知らん(゚ω゚)

 江戸名所図会も引用したいので、コロナワクチン3回目の副反応が終わってからどうにかします……(´;ω;`)イタイヨウ、イタイヨウ

*資料は国立国会図書館デジタルコレクションから引用しています。
〔江戸切絵図〕. 内藤新宿千駄ヶ谷絵図 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1286669

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