• 異世界ファンタジー

閑話②:はじめてのおやしき

 これはブラッドが初めて王都のエンドワース邸にやって来た時のこと。

 王宮を後にしたエンドワース家の一団は、ぞろぞろと隊列を組んで貴族街の通りを進んでいた。


「――なあ、飲み物くらいくれよ」


 隊列の最後尾に追いやられたブラッドは、何も言わず歩き続ける隊列に声を掛ける。

 しかし、前を歩く騎士は、振り返ることなく、ブラッドの要求に首を振った。


「残念だが、我々の所持品を許可なく渡すことはできない。諦めてくれ」


「……ああ、そうかよ」


 取り付く島もない騎士の返事に、ブラッドは不貞腐れた表情で隊列から目をそらす。

 そのままブラッドが後方へ目線を移すと、3年の月日を過ごした王宮の門扉は、既に遠くなりつつあった。

 
(勢いでついて来ちまったが……まあ、いざとなりゃ逃げちまえばいいや)


 地下牢でのやり取りを思い出して頭を掻きつつも、ブラッドは気楽な足取りで騎士たちの後を追いかけていく。

 そして、それから歩くこと数十分。

 エンドワース邸の門扉をくぐったブラッドの前には、ソヨソヨと草花の風に揺れる広大な庭園が姿を現していた。


「……なんじゃ、こりゃあ。デカすぎんだろ」


 目の前に広がる庭園と見下ろすように聳え立つ屋敷の威容に、ブラッドは口をあんぐりと開ける。

 すると次の瞬間、前を歩いていた騎士の1人が、振り返ってブラッドの胸ぐらを掴んだ。


「我々が仕えさせていただく家だ。常に敬意を忘れるな」


「お、おう……わりぃ」


 騎士の勢いに気圧されたブラッドは、居心地が悪そうに頭を下げる。

 2人の間にしばし気まずい雰囲気が流れる中、騎士は進み続ける隊列を一瞥して、ブラッドを突き放した。

 
「……わかればいい」 

 
「なんか、調子狂うなぁ……」

 
 くるりと踵と返して隊列を追いかける騎士の背中を、ブラッドは苦々しい顔で見つめる。

 しかし、ポツンと1人残されていることに気がつくと、慌てて庭園を走り出した。


(こいつはすげぇ。……何回か依頼で行った家とはちょっとばかし違うみたいだ) 


 やがて、最後尾にいたブラッドが庭園を抜ける頃。

 奥に聳えていた屋敷の玄関前では、既に騎士たちの大半は、一糸乱れぬ動きで騎士館へと向かいだしていた。


「おい、アルギス様がお呼びだ。今すぐに向かえ」

 
「……ん?ああ、ありがとよ」


 呆然と立ち尽くしていたブラッドは、目の前にやってきた騎士の声で、ハッと我に返る。

 男の肩越しに見える玄関前には、バルドフとマリーを背後に控えさせたアルギスが、どこからか持ち出された椅子へ腰を下ろしていた。


(ふざけて”大将”なんて呼んだが、あながち間違ってもねぇみたいだな……)


 退屈そうに肘掛けへ頬杖をつくアルギスに、ブラッドはポリポリと頬を掻きながら近づいていく。

 程なくブラッドが3人の前までやってくると、アルギスは頬杖をついていた腕を下ろして、両指を組んだ。


「――来たか」


「おう、何の用だ?」

 
 3人の顔を見比べたブラッドは、軽く手を上げながら、二カリと笑顔を浮かべる。

 ブラッドの気安い態度に、バルドフはギリギリと奥歯を鳴らしながら、前に進み出た。


「貴様……」


「やめろ、バルドフ。話が前に進まん」


「……失礼、いたしました」

 
 ブラッドに掴みかかる寸前、アルギスの挙げた手がバルドフの体を押し止める。

 深々と頭を下げて後ろへ下がるバルドフをよそに、アルギスはブラッドを睨みつけながら指差す。


「お前に与える指示は、たった1つだ。問題を起こすな」


「そんなの言われなくても……」


 アルギスの指示に小さく息をつくと、ブラッドは、肩の力を抜いて、苦笑いを浮かべる。

 しかし、不快げに席を立ったアルギスは、釘を刺すように、ブラッドの胸元へ人差し指を突き立てた。
 

「お前に許された返事は、”はい”のみだ。いいな?」


「わ、わかったよ」 


 しかめっ面で顔を見上げるアルギスに、ブラッドは大きく首を振って見せる。

 未だブラッドの返事に不安を残しつつも、アルギスはバルドフを伴って屋敷へと向き直った。
 

「……マリー」


「はい。こちらに」

 
 影の中へ椅子を仕舞い込んでいたマリーは、瞬く間にアルギスの隣へと控える。

 すると、アルギスはマリーの顔を横目に見て、ため息をつきながら軽く手を振った。


「屋敷の案内くらいはしてやれ。行くぞ、バルドフ」


「はっ」


 アルギスが顎をしゃくって歩き出すと、バルドフは小さく腰を折って、ピタリと後ろへ控える。

 一方、ブラッドと共に玄関前に残ったマリーは、 屋敷へと足を進める2人の背中に、じっと頭を下げ続けていた。

 
「……かしこまりました。そのように」


「よう、俺はブラッドってんだ。よろしくな」


 自らへ言い聞かせるような呟きを漏らすマリーに、ブラッドは相も変わらぬ笑顔で片手を差し出す。

 しかし、静かに顔を上げたマリーは、ブラッドの手を取ること無く、冷たい視線を送った。


「馴れ馴れしく話しかけないでください。私はまだ貴方を認めていませんので」


「……らしいな」 


 サッとマリーへ差し出していた手を引くと、ブラッドはおどけた表情で肩を竦める。

 ブラッドの態度に舌打ちを零しつつも、マリーは諦めたように屋敷へと足を向けた。

 
「とにかく、そんな格好で屋敷を歩き回らせるわけにはいきません。……浴場へ向かいますよ」 

 
「へいへい……」


 1人でスタスタと歩き出すマリーに、ブラッドもまた、ボサボサの髪を掻いて玄関へ向かっていく。

 ややあって、一言も言葉を交わさずに玄関ホールへ足を踏み入れた2人は、奇異の目に晒されながら回廊を抜けていくのだった。

 



 
 屋敷へとやって来た翌日の午後。

 清潔な衣服に身を包んだブラッドは、不機嫌そうなマリーの案内で、豪奢な本邸の一室へとやって来ていた。


「ここを、使って良いのか?」


「……ええ。ですが、絶対に汚さないでください」


 キョロキョロと室内を見回すブラッドの問いかけに、マリーは眉間の皺を深めながら、後ろを振り返る。

 目つきを鋭くしたマリーに睨まれつつも、ブラッドはどこ吹く風とばかりに、ヒラヒラと手を振って歩き出した。


「あいよー」 


「……では、ここで大人しくしていてください」


 横を通り過ぎるブラッドへ声をかけると、マリーはそそくさと部屋を出ていく。

 程なく、ガチャリと閉まる扉の音を背に、ブラッドは落ち着かない様子でソファーへボフッと体を落とした。

 
「……とんでもねぇ所に来ちまったかもな」


 キラキラと輝くクリスタル製の照明の下には、窓から柔らかい陽の差し込む優美な空間が広がっている。

 また、ポツンと1人ソファーへ座るブラッドの周囲には、床を覆う毛足の長い絨毯や豪奢な調度品の数々が備えられていたのだ。


「まぁ、飯もうまいし、暫く厄介になるか」


 しばらくの間、じろじろと調度品を眺めていたブラッドは、頭の後ろへ両手を回して独りごちる。

 同時に、目の前に置かれていたテーブルへ足を乗せると、大きなあくびと共に目を瞑った。


 それから1時間余りが経ち、ブラッドがグゥグゥといびきをかいていた頃。

 静かに開かれた扉の奥から、不快感に塗れた声が室内に響いた。

 
「――随分と、過分な待遇を受けているものだ」 


「んぁ?アンタは、確か大将にくっついてた……」


 パチリと目を開けたブラッドは、テーブルから足を下ろして、近づいてくるバルドフへ声をかける。

 間の抜けた顔で頭をかくブラッドに、バルドフは顔を赤くしながら歩く速度を上げて詰め寄った。


「今すぐに、その薄汚い口を閉じろ」


「な、なんだよ」

 
 苛立ちを隠さず吐き捨てるバルドフにギョッとしつつも、ブラッドは負けじと立ち上がって食い下がる。

 しばしブラッドと目線をぶつけ合うと、バルドフはなおも不快げに顔を顰めながら親指で扉を指した。
 

「……少しばかり話がある。ついて来い」


「おい。待てって」


 パタリと口を閉じて扉へ向き直るバルドフを、ブラッドは警戒混じりに呼び止める。

 しかし、チラリと後ろを振り返ったバルドフは、ブラッドの静止も聞かず、すぐに無言で扉へと歩き出した。
 

「…………」 

 
(何だってんだ、まったく。……ここの奴らは誰も人の話を聞かねぇぞ)


 有無を言わさぬ態度に、ブラッドは内心で愚痴を零しながら、後を追いかけていく。

 
 そして、目を丸くする使用人たちの間を抜けて廊下を進むこと数十分。

 騎士たちの見守る鍛錬場の中心までやってくると、腕を組んで向き合うバルドフに目を細めた。

 
「いい加減教えろよ。何の用なんだ?」

 
「事情もあることだろう、言葉遣いについては問わん。……ただ、その舐めた態度だけは捨て置くわけにいかんのだ」


 組んでいた腕を下ろしたバルドフは、敵意を剥き出しにして、拳を固める。

 目を血走らせたバルドフに、ブラッドはニヤリと口元を釣り上げて、周囲にいる騎士たちを見渡した。


「へぇ、ここでやる気か。いいぜ、剣をよこしな」


「貴様如きに剣など勿体ない。かかってこい」


 ブラッドの要求を鼻で笑うと、バルドフは無表情で、ゆっくりと拳を構える。

 ビキリと青筋を立てたブラッドは、口を開くよりも早く、バルドフ目がけて殴りかかった。

 
「……上等だ!」


「ふむ」 


 しかし、ブラッドの攻撃は、首を動かしただけのバルドフに、いともたやすく躱される。

 勢い余って前につんのめったブラッドは、素早く後ろを振り返って、バルドフを睨みつけた。


「やるじゃねぇか、おっさん。次は本気で行くぜ?」

 
「それは良かった。全力がこの程度では、アルギス様もさぞ悲しまれよう」 


 身を低くして飛びかかろうとするブラッドに対し、バルドフは棒立ちのまま、ホッと息をついて見せる。

 皮肉げなバルドフの返答に頬をひくつかせながらも、ブラッドは威圧するように眉間へ力を入れた。

 
「……アンタを倒しちまったらどうするよ?」


「出来ないことなど、考える必要はない」


 きっぱりとした口調で言い切ると同時、バルドフは迷わずブラッドの体に拳をめりこませる。

 しかし、腹部に突き刺さったはずの拳は、ブラッドを僅かに後退させるだけに留まったのだ。


「いてぇだろうが……!」 

 
「……なるほど」 


 返す刀で殴りかかるブラッドに、ブラッドもまた、表情を引き締め直して殴り返す。

 ブラッドとバルドフの2人が鈍い音を立ててぶつかった鍛錬場には、たちまち周囲から騎士たちの歓声が響き始めた。


(ちくしょう!攻撃がまともに当たらねぇ……!)


 バルドフへの声援が飛び交う中、ブラッドは煮えたぎる怒りに任せて、拳を振り上げる。

 しかし、バルドフは、振り下ろされたブラッドの拳を、顔色一つ変えず脇に抱え込んだ。


「……粗い。まあ、こんなものか」 

 
「がっ!」


 お返しとばかりに払り抜かれたバルドフの手刀は、狼狽えるブラッドの首を、思い切り打ち付ける。

 そのまま、たたらを踏むブラッドの腹を膝で蹴り上げると、バルドフはトントンと首を叩きながら口を開いた。

 
「命拾いしたな。剣だったら死んでいたぞ」


「ぶっ殺してやる……!」


 地面へ手をついたブラッドは、体に魔力を纏いながら、再びバルドフ目がけて頭から飛び込む。

 しかし、胴体へ手を回そうとした瞬間、同様に魔力を纏ったバルドフの腕が、スルリと首元に伸びてきたのだ。


「――それでいい。それでこそ、己も本気になれるというものだ」


 流れるような動きで背後に回ったバルドフは、足をかけたブラッドと共に、地面へと倒れ込む。

 迷いなく両足でブラッドの体を固定すると、片腕の肘を掴んで首を締め上げた。


「なっ……!?ち、ちくしょう……」


 どうにか逃げ出そうと必死で藻掻くも、ブラッドの意識は徐々に暗闇へと沈んでいく。

 やがて、土をガリガリとかいていた手がピタリと止まると、バルドフは肩を抑えながら立ち上がった。


「……まったく、なんという丈夫さだ」


「団長、お疲れ様です」

 
 険しい顔でブラッドを見下ろすバルドフに、鍛錬場の中心までやってきたガーランドが深々と腰を折る。

 ややあって、ブラッドから目線を外したバルドフは、ため息交じりに、ガーランドへ顔を寄せた。


「ああ、少し疲れた。悪いが、ポーションを持ってきてくれ」

 
「は、はっ!」 


 予想外の指示に困惑しつつも、ガーランドはすぐさま騎士館の本部へと足を向ける。
 

 そのままガーランドが慌てて駆け出そうとした時。

 意識のないブラッドを一瞥したバルドフは、引き止めるようにガーランドの肩を掴んだ。
 

「……いや、少し待て。コイツをついでに医務室へ連れて行け」


「よ、よろしいので?」

 
 顎でブラッドを指すバルドフに、ガーランドは、一層表情に困惑の色を強める。

 しかし、大きなため息をついたバルドフは、ブラッドを見下ろして、渋々頷きを返した。

 
「ああ。……数カ所は骨が砕けているはずだ、治してやれ」


「承知しました」 
 

 再度深々と腰を折ると、ガーランドはブラッドを担ぎ上げて鍛錬場を去っていく。

 やがて、バルドフだけが残った鍛錬場には、ガーランドと入れ替わるように戦いを見ていた騎士たちが姿を現すのだった。

 
 それから数時間が経った夕暮れ時。

 ズラリと並んだベットの1つに寝かされたブラッドは、窓から差し込むオレンジ色の陽光に、ゆっくりと目を開けた。

 
「っ!ここは……?」


 上体を跳ね起こしたブラッドがあちこちを見回せば、簡素なベットとテーブルだけが目に入る。

 
 そして、不意にブラッドが目線を下ろした瞬間。

 突如力の入らなくなった手は、毛布の上でブルブルと震え始めた。

 
「……一対一の喧嘩に、俺が負けた?」


 バルドフとの戦いを思い出すと同時に、ブラッドの口からは我知らず呟きが漏れる。

 程なく、震えの治まった手をベットに叩きつけると、ブラッドは奥歯を噛みしめながら医務室の出口を睨みつけた。

 
「くそっ!ふざけんじゃねぇぞ!ナメやがって……!」 

 
 喉が裂けるような叫びを上げながらも、ブラッドの目からはポロポロと涙が流れ出す。

 拭うのも忘れて零れ落ちた涙は、壊れるほどの勢いで拳を叩きつけられるベットの上に次々とシミを作っていった。

 
「ちくしょう……逃げんのは止めだ。さっさと体の調子を取り戻さくちゃなんねぇ……」
 

 やがて、ベットの台座に罅が入る頃、ブラッドはグシグシと顔を拭って、目に力を入れ直す。

 そして、すぐさまベットを飛び降りると、険しい表情で医務室を後にするのだった。

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