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物語が始まらない『賽の河原の高齢化』

「はあ、まさか親より先に死ぬとはな」

 享年六十六。そりゃ、平均寿命からすれば短いだろうが、特段、早死にというほどでもないと思う。

「死んだら三途の川を渡るなんて言うけど、まさかほんとにあるとはなぁ」

 目の前を横断する川は聞いていたよりもずっと大きく、また川幅の割に流れも速そうだった。川の向こうに死んだ祖母が~なんて話はよく聞くが、水上は霧が濃く、川であることがかろうじて分かる程度だ。生前に聞いた美しい景色とはほど遠い。

「三途の川を渡る方はこちらに並んでくださーい!」

 死者の中で若い男が叫んでいた。彼の額には二本の角。鬼はほんとうに存在するらしい。よく見れば、死者に交じって他にも鬼たちがせわしなく動いている。
 鬼が誘導する先には桟橋がかかり、そこから船が出ているようだった。死者は一列に並び、定員になった船から順に出ているようだ。

 それにしても、こんなに死んだ人がいるのかと思う。
 日本中の死者がここにいるのだろうか。どこかぼんやりとした顔をしている者、清々しい顔をしている者、男も女も年齢もばらばらだが、皆、衿を左前にして死に装束であることは一緒だ。
 胸元を見下ろせば、自分も又あの集団と同じだと痛感させれられる。

 人の流れに身を任せるようにして、船乗り場の列に並ぼうとした時だった。突然、後ろから肩を掴まれ、強い力で引っ張られた。

「おい、お前はあっちだ」

 さきほど叫んでいた鬼だった。さっさと行けと人波から押し出される。
 掴まれた肩をさすりつつ言われた先へと向かうものの、私は船に乗れないという事だろうかと不安が胸をよぎった。

  ◇◇◇

 船乗り場の下流は丸い石がごろごろ転がる、河原と呼ばれるような場所だった。人波ができるほどだった船乗り場と違いまばらに、しかし下流に向かって途切れることなく人がいるようだ。

「あの、こちらへ行くよう言われたんですが・・・・・・」

 話しかけると、鬼は露骨に面倒くさそうな顔をした。

「どこでもいい。空いている場所で石を積め」
「え?」
「聞こえなかったのか。石を積めと言っているんだ!」

 聞き返してしまったのは、思ってもみないことを言われたからで聞こえなかったからじゃない。そんなに怒鳴らなくてもなぁと思いつつ、空いている場所を探した。
 少し歩いて気づいたことがある。ここには子どもがいる。船乗り場の列にはいなかった子どもが大人たちに交じって石を積んでいる。ここにいるということは亡くなったということか。親はいたたまれないだろうなと、つい幼い孫と重ねてしまう。

 一畳ほどの隙間を見つけ、石を重ね始めたときだった。がしゃん。振り返ると腰の高さまで積まれていた石塚が崩れていた。隣には泣きそうな顔の男の子。また、がしゃんと音がして、今度は隣の石塚が崩れる。
 鬼が石塚を壊している。がしゃん、がしゃん、と金棒を振るたび、子どもたちが積み上げた石が崩れていく。

「な、なにしているんですか」
「貴様こそ石を積まずになにをしている」

 鬼がこちらを振り返る。振り返りざまにまた一つ、石塚をがしゃんと壊した。

「ちょっと!この子たちに謝ってください」

 不思議と恐怖はなかった。それよりも、命じられて積んだ石を崩された子どもたちが不憫でならなかった。
 鬼がちっと舌を鳴らす。

「貴様らは罪人だ。親より先に死ぬ。これほどの親不孝があるものか」
「それは、石積みは罰という事ですか」
「そうだ。分かったら石を積め」

 無性に腹が立ってきた。自分が親より先に死ぬなんて私でも驚いたくらいだ。こんな幼い子どもが考えられることじゃない。この子たちだって親と離れて辛いはずだ。それを、罪人だ?罰だ?

「なら、ならなんで石を崩すんだ。石を、幾つかは知らんが、積めばいいんだろ?それをわざわざ崩す必要はないじゃないか」

 視界の端に人が集まって来る。子どもも大人も皆、黙ってこちらを見ている。

「石を積み、徳を積んでやっと貴様らは許される。一つ二つ積んだだけで己の罪が償えると思うな」
「許されるって、誰にですか?仏様ですか?」

 鬼はぐっと口をつぐむ。

「もし仏様なら、采配は仏様にあるわけで、あなたが石を崩していい理由にはならないでしょう。とにかく子どもたちに誤ってください」

 そうだよなぁ、とどこかから声が上がった。ルールは守るべきじゃないか、と声が聞こえる。一方的に崩されるのは理不尽じゃないか、と話している人がいる。虐待だ、と誰かが言った。
 声に押されるようにして一歩、踏み出す。

「まずは、子どもたちに謝ってください。そのあと、積み上げる個数の明示を。あなたでは分からないなら上の方を呼んでください」

  ◇◇◇

 随分とやりにくくなった。
 親より先に死んだ者は、賽の河原で石を積む。太古の昔から決まっていたことだ。彼らは罪人で、我々の仕事は罪人を裁くこと。彼らが徳を積むまで石を崩すこと。

 昔は親より先に死ぬ者なんて少なかったように思う。戦や災害でもない限りそのほとんどが幼い子どもだった。今はどうだ。子どもより大人、それも年寄りと言っていい者ばかりじゃないか。

 石の個数の明確化だ?崩す際の理由付けだ?なんと馬鹿らしいことよ。それに加え、最近は生前の親孝行を点数化して量刑を減らせと言うものまでいる。
 ああ、なんと馬鹿らしい。なんと嘆かわしいことか。

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