ルールは破るためにあるというが、ルールとは混乱を生み出さないように作られるものである。
車のルールがなくなれば、人身事故は激増し、事故による死亡者も増えるだろう。
本のルールも同様だ。一人称、三人称とかルールがあるのも読み手が混乱しないようにするためだ。
様々な本を読む中で、読者が混乱せず快適に楽しむことができるのは本がルールを守って書かれているからだと思う。
書き方が1000通りもあれば、本を読むのに人類は苦労するだろう。そして、本という文化は発展しなかったかもしれない。
時代の流れと共に書き方は増えてきた。だが、読者が混乱する書き方はやはり避けるべきだ。特にたくさんの読者に読んでほしいならなおさらだ。
このノートを書いたのも、人称がわかりにくいと感想を書いたところ、彼(もしくは彼女)は
「人称なんて知らないがどうでもいい。内容さえ伝わればルールなんて関係ない」
と半ば逆切れされて、不快な思いをしたためだ。
皆さんはどうだろうか?
よりたくさんの人に読んでもらいたければ、最低限のルールは守るべきだと私は思う。
そうでなければ待っているのは三流の烙印だけだ。
これは喧嘩した彼(もしくは彼女)を攻撃するために書かれたものではない。私は彼(もしくは彼女)に考えを改めてもらいたいと考えている。そうすればきっと次のステップに進めると思うからだ。夢の成功を信じてこの文章を締めようと思う。