はるか昔に買ったのが出てきたので読んでみました。
最初は読みにくかったのですが、読み進めていいくうちにすごく『品のある文章だな』と思いました。
無駄がないほうの文章なのですが、最初のほうが登場人物の説明があんまりないまま進んでいく以外は、読みやすいし洗練されています。
特に登場人物にわかりやすいキャラクター性が付与されていないにも関わらず、誰が喋っているのか、どういう気持ちを持っているのかが想像しやすい。この能力は異常だなと思いました。
脚本術の『セイブ・ザ・キャット』では『原始人にもわかるプロットにしろ。キャラクターには眼帯のようなわかりやすい要素を付与しろ』というレクチャーがあります。
『ヒューマンファクター』ではその逆です。登場人物には容姿や身体的特徴がほとんど付与されていない。にもかかわらず、一瞬の感覚を切り取った描写だけでその登場人物の背景や語られていない心理まで予測できる奥深い文章が展開されています。
またシーンごとに視点を切替えていく視点移動型の三人称ですが、動かした後の視点の登場人物の心理がとても丁寧に描写されているので(しかし冗長ではない)、カメラを切り替えるたびに読者が感情移入できる視点が増えていくという豪華仕様です。
これはかなり大変なはずです。私はそのカメラ移動が嫌で一人称ばかりやっています。しかしグレアム・グリーンはそれを拒否して凄まじいクオリティの多角視点を実行しています。
私が『この作品は多角視点だ』と気づくのは、視点移動したときの地の文に視点者しか気づかないこと、思わないことの記述があった時です。そのとき読者は視点が移動しており、誰に感情移入するべきかの指示を作者から受けます。
この能力は秋山瑞人先生がとても上手かったですね。彼は同時戦闘中に何度も視点を双方で一瞬で切り替えるという荒業をやっていました。これはどうすれば視点を切り替えられるのか、それも不自然ではなく読者の感情移入をどうすれば引き抜いて来れるか知っていないとできないです。
久しぶりに何があっても処分しないだろうな、という本に出会いました。
『ヒューマンファクター』は登場人物の心理も居心地の悪さや罪に対する予感などが真に迫って斬り込んできます。このあたりを体系化してしまったり、誤魔化してしまったりすると話が一気にチープになってしまうので、それを拒否しているのはありがたいなと思いました。
『この作品をジャンル化するならスパイ小説だが、そんなもん関係なく傑作だよ』みたいな記述が解説にありましたが、まさにその通りだと思います。ジャンル化された作品が苦手な人なら引き込まれるのではないでしょうか。
もともと、私はどこかでスパイ作品を書きたいなと思っていた節があります。
『スパイファミリー』も途中まで楽しく読みましたが、現代社会は『生きていくために嘘をつき続けなければならない』ので、スパイという職業に共感を覚える人が増えてきたんじゃないかなと思います。
私も『創作したい』という思いを殺して労働者になりました。現役のプロ作家の方々は兼業しながら血を吐くように原稿を書いていらっしゃいます。とても私には真似ができませんでした。
労働に従事してから、私の創作には『本心を殺す死刑執行人』という存在が出るようになりました。
新都社のほうに残っていると思いますが『黄金外電』なんかはボーイ・ミーツ・ガールの少年少女を暗殺者が追跡する話です。
『善意と本心』を『社会正義』が追跡して始末しようとする、という精神構造が労働に従事してから私を支配しています。
本人がどう思っていようと労働者である以上は強制されなければならない事柄が多数あり、私はそれを飲み込んできました。
『本心を晒せば死ぬ』というスパイの存在はとても身近なものです。少なくとも私はこの世界で本心を晒していません。
もう何が自分の本心だったかもよく分からなくなってきました。
なんだか暗い流れになりました。
昨夜はとても体調が悪い中で働いていて、吐きそうになってしまったのですが、ある人の文章を読んでいたら落ち着きました。
またどこかで書くかもしれませんが、とても美しい文章を書く人です。
私の文章は昔から「そのへんに落ちてる包丁を拾って振り回す」という乱れ型なので、丁寧にコツコツと確実なジャブを重ねるタイプの文章には憧れがあります。
そしてそういうタイプには自分は絶対になれないと理解しているから、私は包丁を振り回すのだと思います。
包丁振り回し型には『明日』がありません。明日の自分が今日の自分と連続していないからです。だから文章を途中で止めると、そこから再開することができません。『昨日』の自分はもう死んでいるからです。
だから私はだいぶ前から、1シーン書く時は書き切るようにしています。2000字なら2000字を書き切ります。途中でやめた場合は、よほど出だしが整っている場合を除いて書き直すことがほとんどです。その書き出しから書こうと思った昨日の自分はもういないからです。
同じ話を何度も繰り返したり、似たテーマの同工異曲が私に多いのはそのせいだと思います。健忘症なのか、記憶も連続していないので他人と話していて直前までしていた話を忘れたりします。
こういう話も、作品を楽しむ上で作者の存在は邪魔になるだけだと思っているのであまりしない方がよいと思いつつ、全てを抱え込むと吐き気がしてくるので最近は書くようになりました。
昔リセット症候群に陥ってブログを全消ししたら「読んでたんだよバカが!」とめっちゃ怒られて申し訳なかったのですが、もう少し私のリアルも楽しい話題が増えればいいのですが。
しかし『今日』の私はここで死ぬので、『明日』の私がなんとかするでしょう。