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「生きるということ」完結しました。

一話2000文字の掌編小説を16話組み上げて一つの小説になる作りになっています。計3万文字の中編小説です。肖像画家、新垣雪太が謎多き依頼を受けてある少女の肖像画を描いていく話を縦軸に、その家族四人のそれぞれの生きるということを横軸に話は進んでいきます。軽めの回もあれば重めの回もある、ハートフルな物語。ぜひお立ち寄り下さい。

6件のコメント

  • 「生きるということ」完結おめでとうございます^^

    自分の近況ノートに返信しようとしてたんですけど、通知がいかないかもしれないなと思ったのでこちらに。

    まず毎話2000文字ほどの内容を連作方式で書いてゆく、というと自作でいえば「勃たない男と濡れない女」になります。

    この手法のいいところは、Web小説と非常に親和性が高いということに尽きると思います。毎話5分とかからず、通勤通学のスキマ時間にでも読めるので、読者の感じる「読了のプレッシャー」のハードルを下げることに本作もまた成功していると思います。

    それから書く側にとっても、エピソードの分散と組み立てが非常に考えやすくなるので、一話一話を丁寧に仕上げることが出来たのではないでしょうか。

    反面、一話を2000文字ほどでまとめなければならないので、情報過多には気を使います。本作も序盤に、いわゆるネームドキャラや、前作の説明めいたものを書かなくてはいけないジレンマが見受けられ、読者への負担が増してしまうリスクがあったように感じました。
    本来であれば、家族構成や過去編みたいなものは、一話ごとに情報量を散らして書いても良かったかなと思わなくもないです。

    すんに関するラストへの伏線や、大河のいじめに関する変化などは、上手に散らして書けているので、回収もストーリーの分かりやすさといった面からもうまく機能していると感じました。お見事です。

    さて問題は、本作の内容からしてもどうしても淡々とした話が続くので、読者を飽きさせない工夫がもうひとつ欲しいところだったでしょうか。もちろん、村岡さんがそういったある意味、読者に媚びるような手法をこの作品に求めてないということは分かっています。

    自分も「タタヌレ」を書いたときには、毎話の読み切り感を大切にしていました。なので「生きるということ」の書き方には、とても共感するところが多いです。
    しかし読み切り感があり過ぎると、数話読んだところで読者が満足してしまうケースがあり、なかなか固定客(?)がつきにくいという弱点もあったりします。

    自分の場合はエンタメ性が高かったので、まだ助かりましたが、本作のようなロードムービー的な物語の場合、どういった手法が好まれるのかまだまだ研鑚が必要ですね。

    と、こんな感じでしょうか。
    書いてるうちに自分でもよく分からない感想になってしまいましたけど、具体的に「ここどうでしたか?」みたいな感じで気になったところがあったらお申し付けください。

    できる範囲でお答えしますので^^
  • コメント連投失礼します。
    人称のお話に関してですが、私見ですがお答えいたします。


    まず「生きるということ」は何人称で書かれていたか、率直な感想を言わせてもらえば『極めて雪太の一人称視点に寄せた、三人称表記の作品』ということになります。

    別の言い方をするならば、三人称単一視点と呼びます。
    いわゆる神の視点(神視点)として書くならば、もっと状況を俯瞰から眺めたような描写にするべきでした。

    内省描写に関しては、ほぼ一人称小説の技法を採用されておりましたので、これを三人称多元視点(神視点)に落とし込むならば、本人ではなく、パーソナリティの無い語り手によって語らせたほうが良かった。

    ただ本作「生きるということ」に関して言えば、今回の表現方法(雪太視点寄り)で描かれたほうが抜群に読みやすかったと思うので、選択肢としては正解と言えます。

    『小説の読み方』の「地の文さんって誰?」でもちらっと説明しましたが、本来、三人称の地の文に感情や独自の価値観を持たせてはいけません。神視点ならなおさらです。
    あくまでも「登場人物はこういう風に思っている」という書き方になります。
    それ以外は、たとえ表記上は三人称だったとしても、一人称小説と技法的にはあまり変わりないです。

    自分がよくキャラの感情や意見を、三人称表記に落とし込むときは、自由間接話法といって、本人が言ったこと、考えたことを、語り手の言葉に変換して読者へ提示するという方法を選びます。

    簡単に言ってしまえば「」←カッコを使わずに、セリフを地の文として書いてしまうといった技法のことですね。

    最後に一人称視点だけど表記上は三人称という小説でよくやってしまいがちなのが「視点移動」です。
    「生きるということ」で言えば、雪太の視点でお話が進んでいるのに、急に静江や大河の心の声や考え、見た目以外の情報(深い感情など)といったもが書かれてしまうこと。
    いわゆる表記上のタブーになるのですが、本作にはそういった違和感のある「視点移動」はなかったように思います。お上手でした。

    と、こんな感じでしょうか。
    言ってもまだまだ自分も修行中の身ですので、あくまでも参考程度にお考えください。
    それでは^^
  • *第三者の内省描写に関する補足

    語り手が、登場人物たちと同一時間軸にいない場合、


     あとで聞いたところ、あのとき彼女はこう思っていたそうだ――。


    みたいな書き方は有効。演出として全然あり。
  • 人称と誰視点か、そして地の文、本来してはいけないことをしまくっていたわけですね。反省です。勉強になりました。
    「神視点」というのが分からなくなりました。これも勉強しなおしてみます。

    またお手をとらせてしまい、本当に申し訳ありませんでした。

    勉強することが山積みですね。真剣に取り組みたいと思います。

    重ね重ねありがとうございました!
  • おはようございます^^

    まず結論として3000リワード以上に到達し換金した経験はあるか、というご質問には「イエス」です。

    しかしこれは純粋な作品PV(広告表示PV)だけの数字ではなく、カクヨム開催のいろんな企画やイベントごとに参加したときに頂戴した副賞としてのリワードが多くを占めます。

    作家としての収入をリワードから得る、という淡い夢を見たのは自分も同じですが、現状、毎月50~100リワードを得るのが関の山です。

    サイト運営という意味では、広告収入というのは非常に重要なものなので、継続して自分の作品に掲載していく所存ですが、いまのままのPVではお小遣い程度の副収入すらままならないなといったところですね。

    月毎に広告の出向先も件数も変わるらしいので、一概には言えないのですが、体感的に1PVにつき0.06リワードくらい。つまり10PVでようやく6円になるかなというくらいの換金率なので、リワードで稼ごうと思うといかに困難であるか分かると思います。

    人気の出る作品を書き続け、毎日投稿する。
    これに勝る打開策はないかと思いますので、自分はいまなにかひとつ大作と呼べるようなものが書けないかと模索中です。

    かつてリワードシステムに似たような文字数評価換金タイプのサイトを利用したことがあります。
    当時のサイト開発者さん(オーナーさん)とちょっと換金率に関していざこざあって、退会せざるを得なくなったので、この辺にツッコみを入れることにはトラウマがあります。
    なのでこれ以上はシステム自体にとやかく言いませんw

  • こんにちは。
    ご返答ありがとうございました!

    なるほど、イベントごとですか。
    僕の苦手な分野ですね……

    PVだけではやはりとてもじゃないけど無理ですよね。

    納得しました。やはり僕のブログには、広告を入れないというのが正しいようですね。

    なにか、トラウマにふれたようで、スイマセン

    大作を構想中とのこと、期待しています!
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