わたしの中で一番恥ずかしくまた愚かしいともいえる人間というのは「いいわけ」をする人間である。いいわけというと何やら救いようのある言葉に聞こえてしまうかもしれないが、要は「自己正当化」である。この自己正当化しかしない人間には論理的な美しさや感情的な共感性はなく、いくら正しい理屈を並べても響かない。所詮は自己の正当化と保身に走っているだけで、誰に対しても何に対しても正義が存在しないのだ。
情けないことに、そういう人間になると自己弁護だけでなく、相手に対する非難を一丁前するようになり、更には自分が被害者意識を持っていることを当然だとすら思ってしまう。自分の主張を論理ではなく感情によって相手を非難し、ときには自分が被害者であることを訴えて反抗する。ようは子供のダダなのだ。
こういう場合、大人はその理非を正し続けなければならない。それが相手にとって何の効果がないとしても、少なくとも同類でいないでいられるという点において必要な行動である。別に相手に論理的な納得や一致、あるいは感情的な改心を求めているわけではない。どこまでも論理の是非を問い続ける。相手が感情で反発しかできないことをわかっていてもだ。
大事なのは「いいわけ」をする相手を非難することではなく、自分がそういうみっともない人間にならぬよう気をつけなければならないということだ。口にしたり文字にすることは難しくはない。しかしながら実際に自分がどこまで「いいわけ」をしないで生きていられるかということについては、一生の修行だと思っている。――少なくともそれがまったくできずに醜態を晒していることに気が付かない人間にはなりたくないので、修行するしかないのである。