江戸時代には「書道」はなかった。
そんな話を伺いまして。
ちょっとビックリしたのだけれど、その後の説明を聞いて納得したのです。
要約しますとね。
明治に入り、印刷技術が進んで一般化したことによって、書を公式文書に使わなくなった。
これは書が実用性を失ったことを意味する。
実用性を失った物は衰退するか、もしくは文化化するかの選択を余儀なくされる。
書は文化化して「書道」となった。
ということでした。
これ、クセ字コンテストを主宰している書家のうどよしさんの弁なのだけど。
確かにそーだなー、と思って。
いやー、面白いことする人はいろいろ考えてるんだなー、と感心したのです。
で。
最近、私は「書籍ってこれからどうなるんだろう?」と不安に思っていたので、なんとなく引き比べてしまって。
間違いなく、書籍は実用性を喪失しつつある、と思うのね。
なので、書が実用性を喪失した時代と、書籍が実用性を喪失しつつある今は、どこか似ていないかなあ? みたいなこととかをね。
ぼんやーり、考えてみたりしているわけですよ。
あ、ここで言う書籍は紙の本のことね。
電子書籍はすでに変化した後の書籍の形態だというのが私の感覚です。
前から思っていたけど、紙の冊子を作っていて実感しました。
紙映えする文章と電子映えする文章は明らかに違う。
だから、やっぱり別物なんだと思う。
これ、世が世ならエッセイとかでちゃんと書け、って内容かもしれない。
いくつか考えてることはあるのだけど、なんだかまだ自分の中で決着がつかなくて書けないんだな。
だからコッソリここで書く(笑)
でも、まあ、この世から書籍が消えるとは思っていないんだ、私も。
だけど、形を変える時期にきているんだろうなー、とは感じているのです。
問題はどう変化していくのか。
変化に対する恐怖とともに、好奇心もあるわけです。
どうなるんでしょうねえ。
誰か「読道」のカリスマ的な人が出てきたりしてね?
A.I.的な技術が介在する可能性も含めて。
どうせなら面白く変化していってくれるといいなあ。
(そうは言ってもA.I.は失敗してくれないから、完全に新しい物は作れないという限界はあるよねー。変な人たちが変な文化を構築してくれんものか。なんだかんだ言っても、世にはみ出し者は多い。私は大いに期待しているのであります)