初めに自分を書き出したのは、
そこに私の根本的思想があるからだと思います。
それは色んな言葉で伝えられて、色んな表現で伝えられるけど
すっと心に届くような、シンプルなわかりやすさとリズムを大切にしてみました。
普段の自分のスタイルとしてはもう少し比喩的な表現を沢山使って
多視点的に、色んな人が見られるものが多かったりします。
言葉選びが下手な部分もあるかも知れませんが、
あまり1つの考えに拘りすぎず、
でも確かにある自分の中のはっきりとした想いは残して形にする……
私は所謂はみ出し者で
正直なところ、今の現代社会にあまり馴染めていません。
若い頃に不登校になった時期もあり、
それ故に人と接点を持つことよりも、一人で思想を巡らせる時間が増えました。
昔はとても他人が怖くて、故に人間を嫌いだと想っていた時期もありました。
今でもその恐怖心が完全に無くなったわけではありませんが、
この臆病さは他人に対してのものだけではなく、
私の持つ本能みたいなものなので、それも自分だと受け入れて生きてます。
一人になったからといって、人間社会に生きる限りは
あらゆる人との間接的な関わりが無くなることはありません。
当然そうした中で、誰かや何かに興味を持ったり、愛しく思うこともあります。
それは比較的簡単にその関わりを持てる
ネット環境があったからこそ、な気もしていますが
それは私がそうだった、というだけなので
環境が変われば、それぞれその人の要因はあるものかと思います。
何かを好きになる気持ちは、それだけで新たな変化を生みます。
好きを通して人を知ることで、実はそこまで人間が嫌いじゃなかったこと、
そもそも好きになっているのだから
その時点で矛盾が生まれていることに気づくべきだったのかも知れませんが。
ただ昔の自分には
そういった多面的に物事を見る眼が育っていませんでした。
故に、そういった断片的な情報だけで物事を判断していたのだと思います。
ネット環境の急速的な普及により、
今では殆どの人がその中で多くの情報のやり取りをしています。
その中で、未だに知識的、または精神的に未熟な人は
その断片的な価値観だけで、物事を判断する。
若い人の利用が増えたので、若い人が~という意見を見かけますが
ネット環境のない時代を生きた高年代の方も
多視点に物事を見る眼が足りていない人は多いので
結局各々がどれだけ理解力があるかというだけに思います。
そういったレッテル張りは情報の取捨選択をする上で必要となる知恵ですが
一方的で多視点的な思考の放棄にもなりえます。
主観とは己の経験則に基づいて作り上げられるものなので
既に自分のルールを形成していて、変えることを放棄している人に対しては
正直、他人から何かを変えてあげる……というのは難しいです。
なので、言葉や外的要因で他人を動かすことができるのは
寧ろ知識的に未熟である若い人の方が一般的には起きやすい。
手遅れになる前に、その価値観に新たな視点を与えることで
その生き方や考え方に可能性を与えたいというのが、
今回このポエム集を作るにあたっての想いになります。
ただ、私にできるのはあくまでそういった価値観を付与してあげることだけ。
物理的に何かをしてあげることは無理ですし、
私自身が物理的恐怖心をもっている人間なので、
それを現実的な方法で実現してあげることも難しいです。
その上で私が、私なりに誰かに何かを出来る方法というのが
こういった創作物で他人の心に触れるという行為のみです。
優れた価値観は優れた人間性を生みますが、
優れた価値観だけで社会を生き抜いていけるわけではありません。
それは私自身が強く実感しています。
けれど、その眼があれば、少なくとも物事の良し悪しはわかる。
良いものを見て、前に進んで行くことはできる。
そんな気持ちを持ってもらえたら、きっと私の行動に意味は生まれます。
漠然と抱える生きる意味も、きっと見つけることができます。
なるべく私も頑張るので、皆で少しずつ、それを分かち合えたら嬉しいです