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少し自分流考察>二つの世界

 ちょっと面白い考えを持った。自分の糞作品「二つの世界」がある人からのレスで少しだけ自分流考察を語る。

 最初に時間旅行機に乗ってきた男女二人の世界だが、年長者の爺ぃが支配する社会、男女二人を小さいときから選別して特殊教育まで施している象徴は管理社会。更に植物ですら生息できずかろうじて冷凍保存しかしか見れない環境化。また全身を覆って放射能を守るしか生きるすべをまとめればまさしく地獄みたいな世界だな。

それに対して、代理人の爺ぃの世界は、代理人の爺ぃは仮の姿で、一応実在するコンピューターに管理されているものの、実際は形のない神かもしれんな。

 爺ぃは最後にどろどろに溶かされているので意識がまったくない有機物だけの存在 無 だと思う。無は考えることができるのか。自分は 無 になった経験がまだないからそれが快適な状態なのか快適じゃないのかわからん。
 
 培養タンクからガラスケースの中に入っているガキどもはまあ長期間腹の中にいる胎児といったところか。(まあ、ガキにもし意識があってベットに皮のベルとで括りつけられて親から強引に餌を与えられている状態だと児童虐待)自分は胎児の頃の記憶はまったく残っていないし、他の連中も同じだろうと思う。そこで胎児のころは快適だったか快適じゃなかったかと聞いても誰も知らんと言うのじゃないだろうか。(切腹三島は覚えているとかほざいていたがたぶんホラだと思っている)大人が勝手に快適だと思っているだけで、それも根拠なし。

 そもそも人間は釈迦がほざいたように根本的な苦を生・老・病・死(しょう・ろう・びょう・し)の四苦があって人生の意味を感じて苦悩して考える存在になったと思う。

 で、ここの大人たちはそれがまったくない。生きる期間の短い生殖のためにただ鳴いている夏の蝉のような存在じゃないだろうか。蝉の気持ちは幸せなのか不幸せなのか聞いてもただミーンミーンとかツクツクボーシとか鳴いているだけだし、もしテレパシーで蝉の気持ちがわかったらある意味異常心理の持ち主だと思う。(なんか動物の番組で動物の気持ちがわかるハイジとか言う女もいたが、あれもホラだと思う)

実際の形のない神では
 例えば、何の悩みもない旧約聖書 「エデンの園」(アダムとエバは、エデンの園を耕させ、守らせるために、神によって、そこに置かれ←これなんか当たっているだろ)状態だと思う。
 りんごを食べて知恵をつけたアダムとエバは死ぬ存在になることが決定され楽園追放された。つまり上の釈迦がほざいたように知恵をつけて生・老・病・死を知ることになる。

で、普通の人間なら、コンピューターの支配のない地獄とコンピューターの支配を受けているエデンの園ならどっちを選ぶかよくわからん。

もしこの世界でコンピューターに不満が出て反撃する奴がいたらレジスタンスだな。

これに拡大して意識を広げてみた。

 例えば映画の「マトリックス」あれもコンピューターに管理されて眠り続けて普通の日常を送って少しの幸せを感じている連中と、コンピューターの支配に反抗して目覚めてレジスタンスの連中が劣悪な状況下で戦っている世界だな。ちょっとディック的な考えがあると思う。夢か現か幻か、または胡蝶の夢的な世界だな。眠り続けて普通の日常を送っているのが幸せか、それとも目覚めて劣悪な状況下で戦うのが幸せかそれもよくわからん。

まあ、いろいろな角度でどれもアホな考えだったが自分なりに楽しかった。ある人にお礼を言いたい。問題提起してくれてありがとう。

2件のコメント

  • 中々、興味そそる内容を読ませて頂きました。ありがとうございます。
  • サファイヤさん、興味を持ってよろこんでもらえて光栄です。
    ある人の意見で自分の作品からでも、こういう風な考えができるって、斬新な感覚で面白かったです。これから書けるかわかりませんが、自分の作品や他の人の作品を読んでその物語の裏にある話を連想して、知的な遊びをやっていきたいと思います。
    もしできたら、またここに書きますね。
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