今日は、本文で阪神・淡路大震災の時のことを公開しました。あの大震災は、関西に多くの親せきや友人が暮らす私にとって、悪夢のような出来事であり、さらに私の母が大阪に仕事の商品の仕入れのために、倒壊した阪神高速を経由する夜行高速バスに乗って、大阪梅田に向かってちょうど定刻通りの運航であれば、阪神高速に乗っている最中だったため、
「あの倒壊現場に巻き込まれたのではないか」
という思いも抱いた瞬間でした。この日も普通に私は仕事があったので出勤はしましたが、工場もストップして生産できる手立てもなかったため、私は昼で帰宅し、情報収集を図りつつ、母からの連絡を待っていた状態でした。母からの連絡があった後、帰る手立てを組み立てて、母に説明し、切符の手配から乗り換え方法などを伝えて、何とか八歳翌日に、稼働していた交通機関を利用して帰ることが出来ました。
もうあの大震災から30年を来年1月17日に迎えますが、今一度大きな地震に対する準備はしておかないといけないなと思う私です。
本当にあの猛煙を上げる神戸の市街地を映像で見た時は、何か悪夢を見ているような、そして巨大な爆弾が投下されたのではないかというような思いを抱きました。
さて、今日のちょっと昔の写真。今日は吉松駅のすぐそばに展示されている、C55-52号機です。昔は肥薩線などで活躍した機関車です。やはり九州地区のSLなので、門鉄デフが装備されてますね。