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言い訳がましい追記

 こんにちは、星太一です。とは言ってもこれはタイトル通りほぼ言い訳がましい追記なので、喜んでもらえるかどうか分かりません……。どんな批判も受け入れます。もし読んで頂けるのならこれ幸いといった感じです。自分も投稿しようかどうか何度も考えました。今回お届けしますのは前回投稿した自分の作品の内容についてです。
「作品における死」は自分が物語を作る上での一番の問題でした。実際、小さい頃に書いていたお話では必ずと言って良い程、ラストになると主人公の相棒が死に、それを糧に主人公が強くなって敵を倒すというその時の自分にとっての黄金サイクルを繰り返していました。それを妹は喜んで読んでくれていたのを覚えています。その時は作品の中の死に深い意味など考えたこともありませんでした。
 ですがそれから何度か身内の死を経験したことで、小説における死の意味について考えるようになりました。思い返せば当時の自分の作品の中での相棒の死はいつも唐突で、まるで自分が殺人鬼になったみたいでした。
 死とは永遠不可逆的なもので、どんな薬を持ってしてもタイムマシーンを使ったとしても逃れられない世界一残酷な悲劇です。そのような死を簡単に僕は繰り返して、主人公を泣かせ、読者様を泣かせていたのかと思うと心が一杯になりました。そして思ったのです。「死は意味のあるものでなければいけないのではないか」と。
 この世に数多ある作品には死を取り扱ったものが一杯ありますが、僕はそれはいけないものとは思っていません。むしろ好きで読ませてもらっているものが沢山あります。なので今回書いた作品はそれらを非情に批判した訳ではありません。自分を律する気持ちで書きました。その思いが伝わってくれれば良いと、そんな思いでコンクールに応募しました。
 しかし、これは読者様に楽しんでもらえる様な内容では無かったなと後になってやっと思いました。樋口一葉の師匠は「自分の事を作品に書いてはいけない」と言って聞かせていたという話を聞いたことがあります。まさに僕は間違えたのだとそれを思い返しながら何度も後悔しました。そこが反省点です。もしかしたら誰かを傷つけているのではないかとも思っています。申し訳ない気持ちで一杯です。

 只今、新しい作品をちょびちょびと書き進めており、忙しい時期が過ぎたら少しずつ公開できるようになりたいなと思っています。今度は皆様が楽しんで頂けるような作品にしようと校正を繰り返し行っている最中です。
 小説家も作品も、読者様がいらっしゃるおかげで成り立つもの。次に出す作品は評価して頂けたら良いななんて秘かに思っております。
 長々と失礼しました。これにて失礼いたします。

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