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筑前筑後通信(292)天領博多と一橋家の巻

どーも、お元気ですか?
筑前筑後です。

「それは、欲望という名の海」を更新しています。
この作品は、皆様の目にどんな感じで写っているでしょうか?
感想などあれば、お聞かせ下さると嬉しいです。

さて第五回の更新は、一転して視点者は渋川堯雄となり、また福岡と博多が天領になっている事が明かされました。

渋川堯雄は、一橋家出身。父親の一橋宗尹とは徳川宗尹の事で、暴れん坊将軍の四男にして御三卿一橋家初代当主。堯雄が生まれてほどなく亡くなったので、堯雄は兄の治済によって養育されるのですが、この一橋治済こと徳川治済というのが、この時代きっての曲者で、「大御所」になろうとしたり、反田沼の黒幕になったりと野望の人でした。

そんな一橋家に生まれた、堯雄。
彼は完全に架空の人物です(笑)モデルもいません。なので、「もしも」いるとしたら有り得そうな庶子にしました。

なお、一橋家に柳営の情報をもたらす、田沼意到も実在ではありませんが、モデルは田沼意致です。意次の甥にあたり、その父で意次の弟・田沼意誠は出ませんが、二代で一橋家に仕えた経歴があります。

次に天領・博多(と、福岡)ですが、これは黒田騒動で栗山大膳が勝利し、黒田家は改易になったという設定です。
福岡藩西部の室見郡と可也郡(実在の地名では、早良郡の半分と志摩郡)を渋川氏に、怡土郡と早良郡の半分を原田氏に与え、一番美味しい福岡平野と博多を含む旧福岡藩領の大部分を天領として、福岡城代と博多奉行に治めさせました。

なお、原田氏に治めさせた怡土藩というのが、異・雨月の舞台であります。

そんな感じで、物語は進行します。

博多はそもそも、小早川隆景(秀秋かも)が当時公領だった博多と、自身の怡土郡西部36ヶ村を交換して得たものです。
もしかすると天領だったかもしれないという歴史があるんです。


史実をちょいちょい料理するの楽しいですね。


なお、物語の年代は1781年。

長谷川平蔵36歳。働き盛りです。もしかすると!?

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