「自作小説の成分チャートを作成しあいませんか?(診断するだけの参加も大歓迎)Ⅲ」が昨日終了となりました。ご参加いただいたみなさま、積極的に診断に回ってくださった方、飛び入り参加してくださった方、お疲れさまでした。ありがとうございます。
https://kakuyomu.jp/user_events/1177354054917185665まだ数作品読みに行けてないので、もうしばらくお待ちいただければと存じます。
そして今回もいましたねー。チャート付けるだけ付けてもらって自分はノーリアクションでさーっと抜けてっちゃったヒト。感じ悪いわあ。みんな見てるんだから、そういうことやめた方がいいと思います。印象悪くなりますからねー。まあ、個人の自由ですけど。
なんか。他にも不愉快な動きをする人たちがまた目に付きだして、ヤになっちゃいます。定期的になるのですけどね、カクヨムがいやになっちゃう病。
さて、読書メモです。
『パノララ』柴崎友香(講談社)
すんません。カクカク放り出して二度読みしちゃうくらい面白かったです。
序盤から飛ばしてて驚きで「え?」ってなって初出を確認。「群像」で連載したやつなんですね、これ。「群像」って芥川賞作品を輩出する純文学系五大文芸誌のひとつですけど、私は厳密には中間小説の雑誌だと思ってます。
なんでこれも中間小説だなと。にしたって、キャッチーな設定といい登場人物のキャラ付けといい、えらくエンタメ寄りなんです。だから面白いのですけど。
だだって。なにが驚いたって、序盤に主人公の真紀子が男友だちのイチローの家に間借りすることになって部屋を見に行くんですよ。そんでいきなり全裸で洗車をしているイチロー父に遭遇するんです。
マッパのおっさん出て来たー!! からの
「ただいま」
イチローの声で、我に返り、イチローの顔を見た。
「父です」
ちち。
のくだりのゆるさがサイコーでした。芥川賞作家がこんな掴みを……タイヘンなんだなー(こら)
と、エンタメ寄りな設定とストーリーと登場人物なのですけど、柴崎友香の精緻な風景描写、精密な人物描写は存分に活かされてます。
精密なっていうのは、人物の性格や行動や心理に一貫性があるってことです。だから微細な変化をブレではなく意図的な違和や成長と捉えることができるんです。これって観察力があってこその描写力ですよね。人間を描こうと思ったら人間をよく見ないとダメなんです。
あたりまえなのですけど、いわゆるキャラクター小説の記号的な登場人物とは一線を画してます。あたりまえですけど。
そして特筆すべきは一人称の語りの上手さです。主人公(真紀子)の一人称で他者の物語を語るのが本当に上手い。
同作者の『わたしがいなかった街で』の復元話体(読書メモ⑳)ほどダイナミックではなく、佐藤正午(読書メモ㉖)の構成力ほどテクニカルでもなく、ごくごくスタンダードな一人称である真紀子の語りで下宿先の木村家の人たちの物語が語られるのです。
イチローの姉の文と真紀子が互いの生い立ちを語り合う場面なんて、唐突に始まって状況描写がほとんどないのですけど、そこに至った経緯とかその場面の映像が見えるみたいで、こういうふうに読者に描いていない部分を「読ませる」のが表現力なんだなあと感服。
一人称の難しさや限界がわかってきた方には、ものすごく勉強になると思います。一人称でここまで描けるんだって。
あとですね、ネタバレになってもあれなんで詳しくはいえないですけど、私が最近の文芸作品を読み漁りながら感じていた不満というか鬱憤というか、そうじゃないだろ!って思ってたことを綺麗に払しょくしてくれてもいます。
そうそう、こういうことなんだよー、と。こういう扱い方なら私は満足です。これぞ現代ドラマです。
なんのことかわからないですよね、ううう。話したいのですけど……
あと、○○って〇〇だよねーみたいな下世話な考察的なこともしたいんです。キャラ萌え語りもしたい。本当に面白かったから。でもネタバレになる……
読んだよー面白かったよーという方がいらしたらお声がけください。萌え萌え語り合いましょう。
そうそう、随所に見られる真紀子さんのゆるいツッコミ(ボケ?)が面白いのですが、妙に私のツボにはまったのが、「顔のいい男」という表現。
イケメンじゃないんだよ! 顔のいい男なんだよ! これからは私も「顔のいい男」って書くようにします(何の宣言)