私は旧来の〝書籍文化〟にどっぷり浸かったままでWEBに来ました。と、そこは〝ケータイ小説〟から進化したと思われる〝WEB小説〟の支配領域でした。
それを規定するのはスマホの小画面。
横書き、空白行だらけ、章も短く、ぶつ切りの文章……私の感覚では、物語が頭に入ってきません。むしろ、物語に反発されているような気さえします。単なる慣れの問題かもしれません。実際こうして、空白行を多用する文章が書けているんですから。
ちなみに〝書籍文化〟では、空白行は場面や視点の大きな転換を現わすという明確な意味があります。
〝書籍文化〟の登竜門である各種の大規模公募にこのような文章を出せば、即刻退場です。おそらく、読まれもしません。しかも、縦書きがデフォルトです。逆に〝書籍文化〟に育った私の文章は、空白がなく、息苦しく、いつ章が終わるのかも分からず、面倒臭いでしょう。むしろ、それを当然のものとして書いていますしね。
お菓子の箱を開けて中身がスカスカだったらガッカリするでしょう? 私は、本を開いて中身がスカスカでガッカリした経験があります。「もっとびっしり書き込めよ! 手を抜くんじゃねえよ!」と、心の内で叫びました。
これは、型式だけの問題でしょうか?
軽い器に重い内容は入れられますか? 重い器に、軽快を求められますか?
可能でしょう。ただし、飛び抜けて充実した執筆技術を持ち合わせていれば。
しかし読者が軽い器を見たら、そこに重さは期待しないでしょうし、逆も然り。わざわざ内容にそぐわない形式を選ぶ理由は少ないでしょう。
軽快な物語には〝サクッと〟楽しめる手軽さがあり、長大な物語には架空世界に浸って時間を忘れる快感があります。どちらも重要な文化だと思います。
読書界では、形式の分断に伴って内容の分断も起きている気がします。特に誰もが無料で参加できるカクヨムに、その分断が顕著なのでしょう。
いずれは〝WEB小説〟形式が小学校の作文の時間に教えられることになるのかもしれません。ですが私は、旧世代の〝書籍文化〟ならではの物語を書きたい。カクヨムにも、それをじっくり楽しんでくれる読者がいることも分かりました。PVが低くてもランキングに入ることもあるので、カクヨムというフィールドから否定されているわけでもないと思います。
この分化を徹底的に進めて〝書籍文化〟が残れる場所が確立されていけばいいなと期待しています。