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罵倒や野次にも由来があるんだなって

調べると「あっ、そうなの?」という言葉やなんかに出会うのは珍しいことではないのです。

現在は東日本某所を拠点にしていますが、その前は西日本某所におりました。
滞在時間なら西日本にいた時間のほうが長いと思います。
ワルぶってブイブイ言わせておるお方の、品のないお言葉にも東西の違いがあるもので。

例えば。

某少年漫画の高校生キャラクターも「このダボがあ!」と言うセリフがあって。
私もこの「ダボ」については日常的…とまではいかなくても、まあ聞いたことはあるわけです。

漫画でも読んだし実際に耳にもしてきたので違和感もなにもなかったのですが、この「ダボ」という言葉は西日本にルーツを持つ言葉なのですね。

大袈裟なものではないようです。
「ドアホ」が崩れていって「ダボ」であったり「ダボはぜ」を示していたりなど。
よくある諸説あるというものですが、どちらかというと西日本側。

へー、と思いつつ……。
プチ疑問を抱きます。

創作中に「ダボ」を使うのはおかしいか?

個人的にはおかしくはないと思います。
「阿呆」という悪口や罵倒はあっても不思議ではないし、「ど」をつける言葉は他にもあります。
「ど真面目」「ど天然」みたいな言い方ですね。

なので創作中で「ドアホ」という言葉がワルそうなキャラクターが言うのも、さらに歳を重ねたキャラクターが「ダボ」と言うのも、それを聞いていた可能性のある若いキャラクターが「ダボ」と言うのもありえるよなと。

ですが「仏頂面」は文字にも使われている「仏」が私の作中に違和感があるので使えないです。

公開中の『歴史の塵を踏み歩く』の第一幕『洋上賃貸の訪問者』は、日本人を思わせる名前の人物がいますが、彼らが日本人だと明記はしていないのです。
日本人なら仏教もある、というのも乱暴な括り方ではありますが。

付け焼き刃の知識ですが、「はい(応)」という意味で使われる「イエス(YES)」はキリストとは関係ないそうですね。
語源、由来としてはもっと別のものらしいです。
だから作中に肯定の意味で「イエス」を使うことは、別に大きな問題にならないのではないのかなと思います。

調べ物は楽しいので好きなんですが……。
時間を忘れて次々とやっちゃうんですよね。

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