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幸せは「ある」のか?

秋口になりましたが、まだまだ暑さが続きますね。皆さんはいかがお過ごしですか。
今日はすごく良い映画を見て、考えさせられることがありました(その映画の本質的な良さとは関係ないところで、なのですが)。
それで、是非皆さんの意見を聞きたいと思ったので、ここに少し長いですが「小説をめぐる日々の雑感」の今日の分を引用します。

 今日は賈樟柯(ジャ・ジャンクー)という中国人の監督した映画『帰れない二人』を観た。心情描写の細かさと画面のバランスの良さ、カメラワークの巧みさにとにかく終始圧倒されたので、この映画は間違いなく自分の中では今年のベストなのだが、この話でヒロインは刑務所に入ることになる。それを見ていて次のようなことを考えた。
 罪が「ある」から不幸せになる。病気が「ある」から不幸せになる。この二つの例に顕著だが、不幸せというのは基本的に何かが「ある」ことによってもたらされるのではないだろうか。そうすると、その反対の幸せというのは何も「ない」ことなのかもしれない。少なくとも私は、自分に罪がないことをそのとき幸せに思った。
 これは「絶望の奏でる音は美しく晴れた空の青さにも似て」で引用した、村上春樹(元ネタはトルストイ)の「幸福は一種類しかないが、不幸は人それぞれに千差万別だ」という話とも対応する。何も「ない」のが幸福なら、確かに幸福は一種類しかないはずで、逆に不幸の「あり」方は千差万別になることも理解される。
 もちろんこれが極端な単純化であるということは否定できない。しかし「私には幸せが『ある』」と思う人は、その幸せが本当の幸せかどうかを一度考えてみてほしい。それは持続可能か、ということが多分一番のポイントになる。いわゆる「達成」は幸せに思えるかもしれないが一時的なものだ。だからそれは本当の幸せではない。達成で幸せになるにはずっと達成し続けなければならない。それは並大抵のことではできないから、やっぱり一般的な幸せはそれとは違うのだと思う。もし他にもあなたが「これは幸せの『あり方』じゃない?」と思うことがあれば、ぜひ私に教えてください。

いかがでしょうか。皆さんの幸せを教えてください。

2件のコメント

  • 周囲の生物が存在して、初めて幸せだと感じる。

    と思う。

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    そうであれば考えを共有したい、できますか?
  • コメントありがとうございます。

    おっしゃることは確かにその通りで、真に孤独な存在というのは何も享受することができないから幸せは感じられないのでしょうね。
    もう少し、このことについて考えてみたいと思います。
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